第8回『すい臓がんカフェ』開店します。

Kaiten

【日 時】2017年10月29日(日) 13:10~16:30 (開場12:50ごろ)
【場 所】JR京浜東北根岸線 大森駅東口から徒歩4分
       Luz大森 4階 入新井集会室
【参加費】300円
【定 員】120名
【講 演】特定非営利活動法人Smile Girls 善本考香(よしもと としか)さん
             『このまま死んでる場合じゃない 私が治ったわけ!!』
【交換会】患者さん同士の情報交換

『すい臓がんカフェ』は事前登録制です。開催の詳細な内容、事前登録は下記のオフィシャルサイトからお願いします。

登録申込みの受付けは、10月7日(土)20:00からです。

  • 短時間で満席になることが予想されます。(これまでの例では最短で15分でした)
  • 入力途中であっても定員に達すると、強制的に受付けを終了します。
  • 「参加申込み」ページに入力フォームが表示されていますので、事前に内容を準備して当日に臨まれるとよろしいでしょう。
  • 「知りたいこと、困っていること、他の方へのメッセージ」欄は入力必須項目になっています。

「すい臓がんカフェ」オフィシャルサイト

2017年9月24日 (日)

今日の一冊(80)『医療者が語る答えなき世界』

著者の磯野真穂氏は文化人類学者である。文化人類学と聞けば、アフリカの奥地の「未開の人々」の生活を研究する学問と受け取る向きが多いが、彼女のフィールドは医療現場である。

日常生活ではあり得ないような医療現場での人々の行動を、文化人類学の視点から眺めていて、これまでの医療現場研究本とは一線を画する内容となっている。

医療者の側から、医療者の肩越しに介護や理学療法士、漢方の問題を取りあげているが、エビデンスに関する考察も文化人類学の視点から追求されている。

エビデンスはあるが、効果は実感できない薬

「血液をサラサラにする薬」と説明される抗血栓薬は、これまで臨床で広く使われてきたのはワルファリンである。しかし、この薬には予期せぬ大出血という問題があった。対象者が高齢者である場合が多く、薬の容量調整には繊細な医師の技量が問われた。

2011年に、定期的な血液検査も、食事制限もいらず、その上ワルファリンより脳出血の可能性が低いという、夢のような薬が日本で発売解禁となった。

薬の名はダビガトラン(商品名:プラザキサ)。DOAC(直接経口凝固薬)と呼ばれる。ダビガトランの有効性を世界に知らしめたのは、権威ある医学雑誌New England Journal of Medicine(NEJM)に2009年に掲載された論文である。この論文で行われた調査はRE‐LY試験と呼ばれ、四四カ国九五一施設、一万八一一三人の心房細動患者が対象になった大規模臨床試験である。

RE‐LY試験が人々を驚かせたのは、脳卒中・全身性塞栓症に対するダビガトランの有効性よりも、ワルファリンと比べた時の脳出血の発現率であった。なぜならその発現率は薬を飲んでいない心房細動患者の脳出血発現率(0.2~0.3%/年)とほぼ同じだったのである。

しかしその期待は発売から半年で打ち砕かれることになる。製薬会社からの緊急安全性速報で、81例の重篤な出血が報告されたのである。その中にはダビガトランとの因果関係が否定できない5つの死亡例が含まれていた。

また、ダビガトランの発売を機に改訂された「心房細動治療(薬物)ガイドライン(2013年改定)」を作成した委員の11名全員が、ダビガトラン他三種の薬剤の総称であるDOACの製造・販売企業五社から総額で1億1400万円余を受け取っており、その中の一人は2000万円を超える金銭を授受していたことも明らかになった。

先日も抗がん剤での「研究不正」が報じられた。

中外製薬の抗がん剤「カペシタビン」(商品名ゼローダ)の効果を巡る研究―。第三者の研究機関が独自に試験を遂行したように装い、実際の効果が不確定なまま、あたかも効果てきめんの如く謳って売りさばく

「エビデンスに基づく医療」への不信が広がっている。

大鵬は2011年4月に医師主導臨床試験である「POTENT試験」を立ち上げて反攻に打って出た。HER2陰性の乳がん患者を対象に、抗女性ホルモン剤にティーエスワンを追加した場合の効果を評価した。この試験は現在進行中だが、なんと、こちらの主任研究者も中外のカペシタビンと同じ戸井氏である。

と、膵臓がん患者に身近なTS-1に関しても利益相反の疑いが指摘されている。

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2017年9月23日 (土)

彼岸花の命は短い-道元の死生観

2007年に膵臓がんの手術後、快気祝いにと伊豆の修善寺に一泊で旅行しました。奮発して老舗の新井旅館に泊まったのですが、近くの散策路で一輪の彼岸花が大木の幹に咲いているのを見つけたのです。

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旅館街から桂川沿いの遊歩道を歩き、竹林の小径を歩いてちょうど半分くらい来ると、和風ギャラリー「しゅぜんじ回廊」がある。このギャラリーの庭にある大樹の幹に、風の悪戯で種が飛んできたのだろう、盛りを少し過ぎた彼岸花が咲い ていた。

命の短い彼岸花が、樹齢百年以上かと思われる樹に抱かれていた。彼岸花の命は短くて、それを抱いている大樹の命は長いと感じるのが世間一般の感じ方であろう。膵臓がんの手術後の私もそうだった。

手術はできたが、いずれ再発・転移が避けられないのが膵臓がんです。自分の余命が見えてきたこともあり、人間とは、命とはと悶々としている時期でした。

しかし道元はそうではない。

道元の時間観念・生死観には驚く。すんなりとは納得できないのだが、いままでの自分の生死観がひっくり返されてしまう。

「正法眼蔵」の「現成公案」項には、

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。

しるべし、薪は薪の法位に住して、さき ありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごと く、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。

このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、 法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春 の夏となるといはぬなり。

生と死に因果関係などはない。前後の関係もない。生は生で独立であり、死は死で独立である。冬が春になるといわないし、生が死になるとはいわないのである。

「時間」についてもすごいことを言う。時間とは存在である、というのだ。「有事」の項には、

しかあれば、松も時なり、竹も時なり。時は飛去するとのみ解会(げえ)すべからず。飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば間隙ありぬべ し。

有時の道を経聞(きょうもん)せざるは、過ぎぬるとのみ学するによりてなり。要をとりていはば、尽界(じんかい)にあらゆる尽有は、つらなりながら時 々(じじ)なり。有時なるによりて吾有時(ごゆうじ)なり。

「時」は行過ぎるものでもやってくるものでもない。松も竹も人間も、己の体内にある己の「時間」をただごろごろと転がしながら、「今ここに」生きること、それしかないではないか、と私は一応理解したが、こんな壮大な哲学があったものだと。

生も死も、全宇宙の全現成としてそこに働いている姿である。彼岸花には彼岸花の時間があり、生があり死がある。それは彼岸花に備わっている時間であるから、大樹の時間と比較して長いとか短いということは意味のないことだ、と言っているのだ。

生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらいにて、すでにさき ありのちあり。かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ、滅もひとときのく らゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。

生というときには、 生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらば、 ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。いとうことなかれ、ねがふことな かれ。

生のときはただ生きよ。全力で生に仕えよ。余計なことは考えるな。死のときは、全力で死に仕えよ。生は生の全機現、死は死の全機現であるからしてそのまま受け入れよ、というのである。死を嫌悪するな。嫌うなと断言するのである。

全機現とは「人が持つ全ての機能を現し、発揮する」ことをよしとする道元の言葉です。

アップルのCEOだったスティーブ・ジョブズは禅に傾倒していたのですが、全機現という言葉を引いて、

  • 悩みの原因は比べることから起こります。
  • 比べると、自分にないものが見えるからです。
  • 比べない「絶対の世界」では、今あるものに目がいきます。

と語っています。

加島祥造は『求めない』の詩文集の冒頭に、

あらゆる生物は求めている。
命全体で求めている。
一茎の草でもね。でも
花を咲かせたあとは静かに
次の変化を待つ。
そんな草花を少しは見習いたいと、
そう思うのです。

と書く。そう、彼岸花は己の命を、生を全力で生きている。ただそれだけのことなのです。次の変化(死)を待つ。ただ、それが来るのを静かに待つ。大木との比較はしない。私もそんな草花を少しは見習いたい。

中野孝次や加島祥造をとおして道元の生死観を知ることで、少しは死への覚悟ができた気がしたものでした。ただ、「今を生きる」ことだけです。

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2017年9月22日 (金)

巾着田曼珠沙華公園と寺坂棚田のヒガンバナ

両陛下が前日に訪れた巾着田に行ってきました。

天皇、皇后両陛下は20日、私的な旅行で、埼玉県日高市の高麗神社を訪問された。高麗神社は、朝鮮半島の高句麗が7世紀に滅亡した前後に、同市を中心とする地域に移り住んだ渡来人ゆかりの神社で、高句麗の王族が祭られている。
同市では全国有数のヒガンバナの群生地「巾着田曼珠沙華(まんじゅしゃげ)公園」も訪問。鮮やかな赤に染まって見ごろを迎えたヒガンバナの中を散策された。

天皇陛下の高麗神社訪問は、朝鮮半島とわが国の歴史的なつながりを改めて国民に思い起こして欲しいとのメッセージではないでしょうか。

東京を5時発で巾着田に着いたのが7時。渋滞もなく順調でした。写真愛好家の車で、駐車場はすでに半分ほど埋まっていました。雲ひとつない快晴で、気温は25度くらい。

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カメラはシグマのMerrillを3台に富士フイルムのX-T2に55-200mmの望遠レンズを付けています。MerrillにはPLフィルターを装着して三脚で撮影。PLフィルターの効果で花と葉の表面反射が除去され、曼珠沙華の赤がひときわ引き立っています。

RAW現像で、色も彩度も一切いじっていませんが、この赤、ちょっと強すぎるくらいですね。

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11時に撮影を切り上げて公園を出るが、周辺は昨日の天皇行幸時以上の大渋滞です。あれでは駐車場まで数時間は並ぶでしょうね。

昼食は秩父市の「手打ち蕎麦 武蔵屋」。ここは二度目です。天ざるは海老天1本と野菜。蕎麦はそば殻を含んだ少し黒い細麺で、汁は濃いめ。打ち立ての香りの良い蕎麦でした。

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横瀬町にある寺坂棚田へ。7分咲きと聞いていたが、既に枯れた花が多く、少々期待はずれです。巾着田と比較すると見劣りがするのは致し方ないか。

武甲山を背景に彼岸花が棚田の畦に咲いています。黄金の稲穂と彼岸花の取り合わせです。

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ほかの写真はこちらのflickrアルバムで。

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2017年9月20日 (水)

明日は秩父路の旅

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明日は5時発で秩父へ行く予定です。

昨年も行ったけど、巾着田に寄ってから寺坂棚田の彼岸花を撮影予定です。

先ほどニュースで天皇皇后両陛下が私的な旅で巾着田の曼珠沙華公園に行ったと流していました。

どおりでGoogleマップの交通情報で周辺がやたらと渋滞していました。

明日でなくて良かったなぁ。でなくてもこの時期は巾着田周辺は車は動きません。

明日は快晴の予報です。秩父の蕎麦も楽しみです。

2017年9月19日 (火)

NHKドキュメンタリー 末期がんの“看取り医師” 死までの450日

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昨夜放送された、医師で僧侶で末期の膵臓がんの田中雅博さんの死までの450日のドキュメント。看取りのプロの末期がんの様子を、母を膵臓がんで亡くしたディレクターが全てを撮影した。

死ぬことは怖くはないと言った田中さん。最期は持続的沈静を希望し延命治療は拒否した。

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しかし、妻であり医師である貞雅さんの思いは複雑です。なんで膵臓がんをもう少し早く見つけられなかったのかと後悔して悔しいという。

看取りのプロのありのままの最期。

しかし、膵臓がんの最期の痛みに苦悶する田中さん。貞雅さんは一日でも長くと鎮静を先延ばしにする。医師としての理想と家族としての葛藤がせめぎ合う。

田中さんが拒否した心臓マッサージを、妻の貞雅さんは最期に行った。

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「千人の死を看取っても、人の死に慣れることはない」と貞雅さんは言う。

ディレクターは「理想の死なんて、最初からなかったのでないか」「死はきれい事ではない、思い通りにはいかない」と。人はひとりでは死ねない。

大腸がんだったと推測されている良寛さんも最期にはこう言ったという。「みんなが優しいから、もう少しこの世にいたい気がする」

人間にとって、死ぬのは最後の大仕事だ。

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