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2007年7月

2007年7月28日 (土)

ひさしぶりに・・・会社へ

一ヶ月も放っておくとバイクのエンジンがなかなか掛からない。やっとスタートして会社へ。入院中のノートPCのデータをシンクロするためだ。休みで誰もいない。

これで一安心。

2007年7月27日 (金)

退院しました。

本日無事に退院いたしました。

たくさんの方からお見舞いや励ましの言葉をいただき、感謝しております。ひとつの山を越えたということで、これからは抗がん剤の投与を続けながらがんばりたいと思います。

ありがとうございました。

2007年7月26日 (木)

膵管破裂一歩手前だった!

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膵臓ガンの多くは膵管細胞ガンであり、がん細胞によって膵管が閉塞されて、場合によっては膵管が破裂という悲惨なこともあるらしい。膵臓は脂肪組織の中に浮いているような状態だが、膵管が破裂して膵液が周囲の組織を溶かすと急性膵炎となり、かなり危険な状態だという。

6月12日添付した私の膵臓のCT画像を再びアップしたが、膵臓の右半分の中央部に見える黒い筋は、本来はCTでは見えるはずのない膵管である。中 央部(黄色の丸)の腫瘍によって膵管が閉塞されて膵液の行き場がなくなり膨らんでいるのがよく分かる。つまり膵管破裂の一歩手前だったということに、今に なって気づいたという訳だ。

関わってきた4人の医師がみんな「とにかく急いで」といったわけはこれを危惧していたからに違いない。組織検査をせずに手術に踏み切った理由も同じであろう。

手術の結果も「あと数ミリ血管に近ければ、あるいは血管にガンが浸潤していれば手術はできなかった」との説明だったから、いくつもの危ない橋を紙一重の差でかわしてきた幸運の連続だったんだと、今頃になってヒヤリとしている。

2007年7月25日 (水)

不在者投票

日本がおかしい! こんな国になるはずではなかった!こんな思いをぶつけようと病院内で不在者投票をした。封筒に二重に入った投票用紙を持って事務室の職員が病室まで来られて、その場で投票用紙に記入する仕組み。


今度の参議院選挙は、根源的な争点は「憲法を変えるかどうか」です。平和と民主主義を志向してきた「戦後レジーム」を「改憲」という方向に変えよう とするアベシンゾウら右翼政治家の野望を許すかどうかです。そしてこのような未熟で自分勝手で低能な首相を送り出すまでに劣化した自公の統治を継続させる のかどうかが問われている選挙です。

年間に少なくとも百人が餓死している困窮と格差社会の日本、毎日「人身事故」という名の『自殺』でどこかの電車が止まっている国、自殺者は年間一万 人を越えようとしてその多くは経済的理由だといいいます。親が子を殺し、子が親を殺す家庭の崩壊、消えた年金、定率減税の廃止や消費税の増税、閣僚の相次 ぐ暴言や政治とカネの問題。こうした問題のすべてが「戦後レジューム」を変える方向のこれまでの政治と密接に絡んでいるのです。

戦後我々が目指してきた日本はこんな国ではなかったはずです。どこで狂ってしまったのでしょう。 しかし改憲を目指す人々はいっそうこれまでの格差社会を推し進めようとしているのですから、選挙の争点は憲法を変えてよりいっそうの格差社会を許すのかどうかという点で非常に大事な選挙です。

2007年7月24日 (火)

退院日27日に

退院日が7月27日(金)に決まった。

入院が誕生日の6月27日だったからちょうど一ヶ月間のリフレッシュ休暇ということになった。

2007年7月23日 (月)

Kさんの退院

7センチほど残っていたドレンパイプも今日すっかり取り除いた。傷口を閉じていたホッチキスも無くなったし、これで体には何も残っていない。

先生も「あと数日で退院できる状態になります」と言ってくださった。ここまで合併症もなく熱も出ず、順調に回復した。神経性の下痢に悩まされただけだが、これもアヘンチンキでコントロールできている。


隣のベッドのKさんが退院した。私と同じすい臓癌だが、Kさんの場合は手術ができないほど進行しており、見つかったときは既に肝臓への大きな血管にがん細胞が浸潤していたために、手術ができないという。癌の大きさは30ミリだというから私の25ミリと大して違いはない。

私の場合と似ているが、今年の3月に、肝臓の治療で通っていた東邦医大病院で血糖値の異常が見つかり、検査の結果すい臓癌だと分かったが、そこで既に「手遅れです」といわれたそうだ。 セカンドオピニオンで国立がんセンターに行ったが、そこでも「手術はできませんね」と冷たい一言にがっくり来た。念のためにとこの癌研にやってきて、一時は手術できるかもしれないといわれたが、結局はやはり難しいねという結論になった。

化学療法・抗がん剤治療を行っているが、今のところ癌組織は大きくも小さくもなっていない。「少しでも小さくなって手術できることが望みなんですがね」とぎこちなく笑う。「47歳なんですよ。せめて10年は生きたいと思っているんです。でないと悔いが残りそうです。」

「会社の業績もよかったので、投資信託に入れて財産は結構増やしました。家も高輪の高級マンションに引っ越しましたよ。トイレが三つに風呂が二つあ るんです。昨年は中東のドバイに投資用のマンションを買いました。まだ建物は完成していませんがね。」と誇らしげに言った後、「でもね、その後癌だといわ れて、しかもあと数年の余命でしょ。こんなことがみんなどうでもよいことだと、価値のないことだと気がついたんです。今は自分のやりたいことをやろうと思 うのですが、さて、本当にやりたいことってなんだろうと、考えているところなんです。」

奥さんも私に「手術ができてよかったですね」と声をかけて二人で退院して行きました。

2007年7月21日 (土)

3週間たちました

36f14_2<病室からの風景、こんな環境でブログを書いています。>

早いもので、もう3週間もたってしまった。

今日見舞いのSさんを玄関まで見送ったときにゆりかもめの高架下をのぞいてみたが、入院するときにきれいに咲いていた紫陽花はもうすべて散ってしまっていた。

病室の写真です。窓の外に見えるのはビッグサイトの会議棟です。

2007年7月19日 (木)

院内コンサートとオムライス

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病院の一階ロビーで、シンガーソングライター&ドラマーと、経歴の多彩な清家みえ子さんのコンサートがあった。

なごり雪、心もよう、異邦人など、なつかしのフォークソング(この言葉も懐かしいなぁ)を中心としたレパートリーに、点滴用のさおを持った患者さんも盛大な拍手喝采。


『會館オムライム』

どうということではないのですが、今日の『會舘オムライス』はおいしかった、絶品だった、舌がとろけた。とろとろ卵とケチャップの味加減がなんとも いえない。病院のレストランでこうした高級店を出しているところも珍しいのではないだろうか? どこもだいたいにおいて『病院食よりはまし』程度の料理 だったような気がする。

生きていてよかった。ほんと。

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2007年7月18日 (水)

柏崎原発は深刻

激しい神経性の下痢は、アヘンチンキを飲むことで劇的に収まってしまった。麻薬の阿片を水薬にしたもので、激しい下痢や咳に効くということ。副作用として効きすぎによる便秘のおそれ。

本当にびっくりするほどよく効いた。飲んだとたんにグルグルといっていたお腹がぴたっと収まった。少し食欲も出てきたので、まずい病院食はエスケープして、院内のレストランで「ビーフカレー」を注文した。

ここのレストラン「レインボー」は有楽町の「東京會舘」が出店をしている。レストランとしては一流どころで、それなりの値段がするが、病院食に慣らされた私の舌にはめちゃくちゃ美味かった。ここの名物「會舘オムライス」は明日にしよう。

体重 66.6kg


東電柏崎原発の事態は深刻だ。CNN、BBCではトップニュースで、写真もすごい惨状を報道しているが、日本のマスコミは奥歯に歯の挟まったような 報道だ。政府の報道管制があるのか。中央制御室の天井も崩落して、柏崎市の使用中止命令が出なくっても、この原発はしばらく運転できないのだという。

「起こり得ないが、想定上最大の地震」という触れ込みで設計した数値をあっさりと超え、放射能も漏れたということに、世界のマスコミは「世界最大の原発集中地での大事故」との扱い。IAEAの事務総長が急遽日本に来るという報道もあるが、それほどこの事故は深刻な問題だ。

2007年7月16日 (月)

台風一過⇒新潟県中越沖地震

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  台風4号は首都圏にはたいした被害を出さないで行ってしまった。

10時13分ごろ癌研有明病院の建物が長周期振動のように長い時間揺れていた。 ニュースでは新潟で大きな地震らしい。

2007年7月15日 (日)

雙脚 等閑に伸ばす

台風4号の影響で朝から雨だ。若洲海浜公園と対岸の中央防波堤埋立処分場にある3基の風力発電の風車も勢いよく回っている。 今日は腰痛は少し楽になったようで、気分がよい。少し細くなった足をベッドに伸ばして深く息を吸った。・・・満たされている・・・そんな気持ちが沸き出でてくる。

ふと、良寛のこんな詩が思い浮かんできた。

騰々(とうとう) 天真に任す
囊中(のうちゅう) 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
雙脚(そうきゃく) 等閑(とうかん)に伸ばす

立身出世など考えもせずに、ただ万事なるがままにして生きてきたが、今こうしてひとり雨音を聞きながら炉辺で冷え切った足を伸ばして暖を取ることが できることが至福の喜びだ。頭陀袋には乞食をしてもらってきた三升の米があり、暖を取る一束の薪がある。これ以上何が必要であろうか。

良寛のように飢餓の境で生きた真似はとてもできはしないが、名誉だの地位だの肩書きなど、競争や成果や他人の評価を気にして生きることが如何につまらないことかと思う。 今こうして痛みも悩みもなく、ベッドに足を伸ばす気持ちよさをただ感じている。


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2007年7月13日 (金)

2週間後には退院か?

先生の巡回で、「傷口が細菌に感染していたが、もう峠は越えたよ」とのはなし。「えっ、そうだったんですか?」知らぬは患者ばかりなり。 このままの経緯でいけば二週間後には退院となりそうだから、体をよく動かしておくようにとの先生の話だ。

大きな合併症も併発しなかったのだから良しとしなければ。


まずい病院食だが、食事をするとてきめんに下痢をする。 先生の説明によると、すい臓を切り取ったときに周囲の神経、特に胃・十二指腸に近い神経を切っているので、同じ手術をした患者の大多数が下痢をするのだそうだ。

下痢の症状は長期になりそうだから、整腸剤を服用しながらの持久戦となりそうだ。紙おむつの世話になる毎日だ。

この紙おむつ、最近いろいろと進歩しているようで、私の使っているのは「3次元人体工学で立体感」とかの広告である。確かに使用感はよい。

2007年7月12日 (木)

手術から二週間たった

体重68.5kgになった。一日で1kgの減量だから、この調子で行けば2ヵ月後にはゼロになるなぁ (*^_^*) 標準体重が64kgだから、まもなくそれに近くなる。A体のすらっとしたスーツが着られるかもしれないなぁ。

昨日は会社の若い方が見舞い、今日もS女史やOさんらの見舞い。まだまだ動くと傷口が痛い。長時間座っていると腰痛なのか傷の痛みなのか分からないが、耐え難くなる。せっかく面会に見えても長い時間お付き合いできなくて申し訳なく思う。

台風が来ているようだ。15日は親父の法要の予定だが、ちょうどやってきそうだ。

2007年7月11日 (水)

選挙までには退院したい

体重が69.5kgになった。ここ数十年来で初めて70kgを割った。点滴を減らしているのに食欲がないものだから、減量するのは当然だろう。今日からは全粥になるはずだから、少しは食欲が出てくれるとよいが。

参議院選挙の投票日までには何とか退院したい。退院して安部シンゾーにバッテン投票をしなくては腹の虫が収まらない。 私が手術をして意識が朦朧としている間に、また一人大臣が辞めているではないか。被爆地長崎出身の防衛大臣が「原爆投下はしょうがない」と発言したのだか ら、『普通の美しい国』だったら国を挙げての大事件で、デモやストライキが頻発してもおかしくない発言だろう。しかし当の大臣は辞任の記者会見で、あの ミートホープの社長と同じようにへらへらとにやけた笑いで「誤解をする国民が悪い」とのたまわったのだから、被爆者でなくても頭に来る。

自殺した大臣の後釜もまた同じ事務所費の疑惑が出る始末。アメリカなら就任させる前にCIAが徹底的に疑惑がないかどうか調査するはずだが、日本に内閣調査局は機能していないのか。

一番はもちろん年金問題だ。これまでの年金の積立金は150兆円とも180兆円とも言われるが、その半分はなくなっているあるいは回収不能の可能性 があるという。こうした疑惑に政府はこれまでの年金資金の運用を100%明らかにすべきだ。年金住宅資金融資などのように帳簿上はあっても実際には回収で きない融資がたくさんあるのではないのか。バブルが崩壊したときに年金融資はどのような損害をこうむったのか、知りたいことは山ほどある。

自民党と公明党が、この国をだめにしていく。今度の参院選は自民党の議席を45以下にしない限り過半数を維持することになるので、このままの悪政が またまた続くことになる。消費税のアップも避けられないだろう。住民税の大幅アップに悲鳴をあげている人、消費税が15%になったんでは生活できないよと いう人は、自民党・公明党に投票してはだめだ。ここは比例区は共産党、ひとり区は自民・公明に勝てる候補に入れることだ。共産党は政策が一貫していてぶれ ないという点で信頼している。しかしこの党の石頭振りにも困ったものだ。小選挙区制の下で多くの選挙区に候補を立てるのは、逆に言うと、野党票を分割する ことにより自民・公明の悪政を延命させることになるのだが、あいかわらず『確かな野党の存在が大事です』と主張している。

今は自民・公明党の悪性をストップさせることが緊急の課題のはずだが、この党には自党の勢力維持がそれよりも大事と見える。しかし現状ではこうした欠点を考慮しても、なおかつ全国区はこの党を支持するしかないと思う。

2007年7月 9日 (月)

見舞い客それぞれ

Hさんの見舞いあり。 あいかわらず飄々とした暮らしぶりが羨ましい。

一昨日はDさん夫妻。Dさんは定年をまじかにして会社でいじめにあい、うつ病になっている。今日は久しぶりの遠出だということだが、以前に比べるとずいぶん回復した様子。これまでの奥さんのご苦労に頭が下がる思いがする。

五分がゆになり一食のカロリーも増えたが、胃がむかむかして食欲がない。傷の痛みはあいかわらずだが、回復に向かっている。

あ~ぁ、あつあつの天ぷら蕎麦が食いたいなぁ。

2007年7月 7日 (土)

癌病棟の七夕

体につながっているパイプ類はひとつを残して取り去った。点滴用のが残っているだけだ。手術跡の傷は痛い。鎮痛剤なしでは夜眠れないことも多い。だが、徐々にその痛みも小さくなっている。 食事は相変わらず大変だ。食後は必ず腹痛と下痢になる。


3543d  もう一度 あの人に 逢いたい 静江

デールームの笹に短冊がいくつか下がっていた。「もう一度逢いたい」あの人は、亡くなったご主人なのだろうか? それとも昔の恋人。

いろいろな人生  いろいろな終わり方がある。

 

2007年7月 6日 (金)

同室のKさんのこと

35188 同室のKさんは体重86キロと昔の私ほどもある立派な体格で、話好きで快活なひとである。しかしKさん自身が言うには「あと数ヶ月の余命」だという。

「慈恵医大にいったんですよ。肝臓が悪くて。胆管癌だといわれたんですが、慈恵医大ではこの手術は高度すぎてできないから」と癌研にセカンドオピニ オンで来たそうだ。癌研での先生は私と同じ先生である。「診察では大丈夫だといわれたんですがね、手術でおなかを開けたところ、肝臓などあちらこちらに転 移をしていて、何もしないで閉じてしまったんです。今日は肝臓のがん細胞に直接放射線を照射してみようということでやってきましたが、先生からもこれが最 後の方法ですが、あまり期待はできませんね」と言われている。

そんなKさんだが、快活によくしゃべる。家族のこと仕事のこと、多くは自慢話だが、余命数ヶ月の人には見えない。

次回は8月だといってKさんは退院し、柴又の帝釈天の近くだといって帰った。快活なKさんだが、昨夜何かにうなされていたのを私は知っている。

帝釈天はヒンズー教の神様を祭ってあるのだと五木寛之がどこかに書いていたなぁ。

2007年7月 5日 (木)

手術後初めての食事

若きにもよらず、強きにもよらず、思い懸けぬは死期(しご)なり。
今日まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり。  
                              徒然草 第137段


明日が今日と同じように続くはずだと、誰もが疑ってはいないけれど、本当のところ、明日が今日と同じであるなんてことは決まったことじゃないんだ。誰にとっても死は目の前にあるということでは年齢にも社会的地位にもよらない、当たり前のことだ。

昨日から食事の訓練である。まずはジュースから始めた。ところが、飲んで5分もするとトイレに走る込む状態だ。そしてたった今体内に入れたものを全部流し出してしまう。すい臓を摘出した患者のほとんどがこうした症状を持つという。整腸剤と食事量をコントロールしながら、徐々に食事に慣れているしかな いようだ。

今日は昼食から3分粥。まだだめだ。トイレに二回駆け込んでみんな流れてしまった。痛みも激しかった。

しかし、人間の体って精巧で緻密にできていることに感心する。私がまずジュースを飲むと、しばらくして『雷様』が活躍し始める。ガスが腸をごろごろ という音と立てて駆け巡るのがわかる。角に突き当たり、隘路を押し込むように潜り抜け、おなかの中を二回転する。その間激しい痛みを伴うこともある。手術 によって失われた機能を探し出し、自己修復をしているようにも感じられる。実際、腸の位置なども微妙にずれているのだろうから、ガスを通して『座りのいい 位置』を探すのは理にかなった方法かもしれない。

夕食も3分粥で同じ。今度はさらに時間をかけてゆっくりと磨り潰すようにして飲み込んでいく。いいぞ、今度は痛みも「雷神」も出てこない。

私の体には生物の全歴史が畳み込まれている。生きているのじゃなく、生かされているのだと強く感じる。

2007年7月 4日 (水)

手術が終わった!

手術が無事に終わった。今日ICUから一般病棟に戻ることができた。

  • 膵頭部を残して後はすべて切除
  • 周辺組織への影響は見られなかったので、胃切除のような大きい手術は必要なかった

との説明。まぁ、望みうる最上の結果だろう。

6月29日

手術室前には我々と別に二家族がいた。Vサインで妻と娘としばしの別れ、手術室の中へ。 手術台の上に上がって胎児の様に体を丸くして背中への麻酔針を入れる。その後気体の麻酔薬を吸ったらあっという間に意識がなくなった。

看護婦の『終わりましたよ』の声。息を吸ってくださいというのだが、吸えない。パニックになりそうだ。二度目に吸ったらやっと呼吸ができた。

痛いなぁ。体全体が痛い。ベッドでの身の置き所がない。がたがたと震えも来た。

6月30日

とにもかくにも朝。長い夜だった。ICUの一番端っこのベッドのようだ。喉が異常に渇く。しかし今日は水分はだめだという。仕方ない。寝て忘れることにしよう。

『午後から私と一緒に散歩しましょう』と言われた。相手は独身の若い女性だし、まぁ美人のほうだろう。普通のシチュエーションなら断る男はいないはずだ。

でもなぁ、癌で機能手術した患者を魔女のような笑顔を誘う散歩とあっては少し事情が違う。断ったら仕返しが怖いので、仕方なく散歩に行く。散歩と いっても病室内をのろのろとした速度で点滴液をぶら下げた状態で歩くのだから格好の悪いことはなはだしい。いまじゃ、手術の翌日から歩かせるのが一般的に なってきたようだ。前の直腸がんのときは3日目程度だったような気がする。

7月1日

洗髪・髭剃り。鎮痛剤を点滴して痛みを和らげる。

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