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2008年10月

2008年10月28日 (火)

膵臓がんの新しい治療法開発に大きな可能性

がん細胞の増殖に重要な働きをするタンパク質を、愛知医科大の笠井謙次准教授らのグループが突き止めた、との記事が中日新聞に掲載しれています。

膵臓がんのように難治性の癌にも治療方法が開発されれば既望が持てそうです。相当先の話でしょうが・・・。

がん細胞増殖の仕組み解明 愛知医大グループ

写真

 がん細胞の増殖に重要な働きをするタンパク質を、愛知医科大の笠井謙次准教授らのグループが突き止めた。このタンパク質を制御する薬物が開発され れば、膵臓(すいぞう)がんのような難治性がんの治療も期待できるという。成果は米国がん専門誌に掲載、28日に名古屋市で始まった日本癌(がん)学会で 29日に報告される。

 がん細胞内にあるタンパク質「GLI1」は単独で核内に入り込むと、がん細胞の増殖を活発化させる。正常時に、GLI1はタンパク質「SUFU」 と結びつき、核内に入っても働きが抑えられている。SUFUとの分離が、がん細胞増殖の引き金となっていたが、その原因は不明だった。

 笠井准教授らは、がん細胞の増殖が始まると、タンパク質「SIL」が過剰に合成されることに気付いた。そしてSILはSUFUと結合し、GLI1 を外す役割をしていることを突き止めた。SILを人為的に破壊すると、SUFUが再びGLI1と結合し、がん細胞の増殖は停止した。

 SILが合成される仕組みは不明だが、笠井准教授は「SILの発生を抑える薬物が開発されれば、将来的にがんを抑制できる」と話している。

非常に興味深い

 <高橋雅英・名古屋大大学院医学系研究科教授(腫瘍=しゅよう=病理学)の話> 難治性のがん細胞が増殖していくメカニズムを解明した非常に興味 深い研究成果だ。薬物開発には、さまざまなステップをクリアする必要があるが、膵臓がんの新しい治療法開発に大きな可能性を持たせる。(中日新聞 2008年10月28日 夕刊)

2008年10月27日 (月)

百年に一度の歴史的瞬間に生きている

カジノ資本主義―国際金融恐慌の政治経済学

日経平均株価の今日の終値が7162円と、26年ぶりの大安値になった当報じられ ている。サブプライムローンに端を発した世界の金融危機がここまできた。

「恐慌」とは「すべてが紙くずになること」である。株券が紙くず になり、紙幣が紙くずになる。ライブドアブームに踊った大衆投資家の株が紙くずとなり、今は2年前にブームが始まったFX取引でマネー投機をしてきた個人投資家の資産が紙くずとなりつつある。

「市場に任せばうまくいく」と、なんの労働もせずにあぶく銭を稼いで、汗水垂らして働く者たちからかすめ取った金で六本木ヒルズに住み、ベンツに乗っていたような連中を、どうして10兆円もの税金で救済しなければならないのか、私には分からない。「自己責任」はどうしたんだ? 勝ち組だなどと威張ってはいたが、ただ強欲だったというだけの浅ましい連中をどうして税金で救わねばならないんだ。ほとんど税金も払ってこなかった銀行に、どうして。

マッド・マネー―世紀末のカジノ資本主義

百年に一度の世界史の激動の時期に、今私は生きている。フランスのルイ王朝の崩壊、日本の明治維新、1989年のベルリンの壁の崩壊と2年後のソビエト連邦の崩壊に匹敵する、いや、それ以上の歴史的大激震の時期に生きている。

ソビエト連邦が崩壊して、その後のアメリカ一人勝ちの時代が終わろうとしている。「市場がすべてを決める。市場に任せておけば万事うまくいく」と言って、新自由主義の経済政策を押し進め、一握りの大金持ちと多数の貧困者を生み出した者たちの「退場」の舞台が回る始めた。小泉真一郎は息子に看板と地盤を譲って、さっさと逃げ出した。竹中平蔵はさっぱりマスコミに登場しなくなった。マスコミの論調も変化して来たようだ。反アメリカ調の報道が徐々に多くなってきている。

今年1月13日のこのブログで紹介したように、ミヒャエル・エンデの「エンデからの遺言」にあるように、1マルクを5%の複利で貯金すると2000年には、太陽4個分の金塊が買える金になる。「このような富がどこからわいてくるのだろう」とエンデは、「利子」の荒唐無稽さを鮮やかに指摘したのだが、今では500兆ドルとも言われるマネーが、5%の利益を求めて世界中を闊歩している。マルクスの共産党宣言第一章の冒頭にある「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している──共産主義という妖怪が」をもじって、「一匹の妖怪が世界を徘徊している──マネーという妖怪が」と論じた者がいたが、まさにその妖怪が世界を食いつぶそうとしているようだ。

「人間復興」の経済を目指して

まだ「グローバリゼーション」という言葉になじみの無かった1980年代の末に、世界を無秩序に駆け回る資本の行き着く先に警告を発し、「カジノ資本主義」を著わしたスーザン・ストレンジ女史は、今日の一層博打化したマネーによる世界経済の混乱を「狂気」だとして女史の続編となる「マッド・マネー」を10年後の1990年代末に著わしている。「カジノ資本主義」が、4つの「浮動性」をまねき、①通貨の価格(為替相場)②財の価格③信用の価格(利子)④石油の価格のこれら浮動性は相互依存的に要因となり、差し迫っ た金融危機の要因となってくると、予言している。まさに現状は、10年前にストレンジ女史が言ったようになってきたではないか。

日本には竹中平蔵のように「絶対の儲かるから株を買いなさい」といって、新自由主義の政策を押し進め、自分はマクドナルドの未上場株を受け取っていたような経済論者しかいなかったのかというと、そんなことはない。

新版 悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環 (文春文庫)

内橋克人がただ一人、新自由主義に敵対する論陣を張っていた。彼の『悪夢のサイクル』では「ネオリベラリズム循環」として、海外マネーの出入りが、バブルとその崩壊を循環的に繰り返し、国土と国民をドンドコに突き落とす過程が警告的に描かれていたし、城山三郎との対談集『人間復興の経済を目指して』では、市場原理主義に対して「地産地消運動」や、世界の中心=アメリカという考えを疑ってかかれと警告していた。さらにこれからの日本の進むべき方向は、アメリカ依存からの脱却と内需拡大であるとし、食糧不足の時代が来ることを予見して、日本の国際貢献は食糧供給から初めよ、減反政策を改めて、日本は「農業立国」を目指すべきであると説いていた。

もうひとつの日本は可能だ (文春文庫)

世界はどこへ向かうのか。ドルが基準通貨という時代はもう終わりだということは確かだ。クリントンと同じ新自由主義経済の継承を公言しているオバマが大統領になったって、この現実は変えられるはずもない。アジアと欧州の各国指導者が一同に会するASEM首脳会合が北京で開かれたが、中国は今や世界一の外貨準備高を持つ国であり、日本を抜いて、アメリカの最大の債権国である。中国こそ、11月15日に開かれるのG20金融サミットの主役になる。そして中国はドルの基軸通貨体制を変え、IMF体制を改革し、新興国の参加した新体制を打ち立てようとしている。

 [北京 24日 ロイター] 中国共産党機関紙・人民日報海外版は24日付の1面に、アジア、欧州の各国は、両地域間の貿易を米ドルでなく、ユーロ、人民元や日本円など地域通貨で決済するべきだとする論評を掲載した。

 論評を執筆したのは、米国批判の急先鋒として知られる上海の同済大学のShi Jianxun教授。

 同教授は「現在の悲惨な状況に直面して、人々はようやく米国が自国通貨の優位性を利用して世界の富を搾取していたことに気が付いた」と述べ、米国発の金融危機により多くの国が富を失うなか、米国は自国の国益を守ることしか考えていないと批判した。

 そのうえで「米ドルは信頼を失いつつある。世界は早急に、国際機関を通して民主的かつ合法的に、米国一国支配の経済構造と米ドルの優位性の上に立脚している現在の国際金融システムを変えなければならない」と述べ、アジア、欧州各国は地域間の貿易決済に米ドルではなく自国通貨を使うべきだと主張した。ただ具体策については言及しなかった。

 同教授はまた、24日から2日間の日程で北京で始まるアジア欧州会議(ASEM)の首脳会合は、新しい国際金融秩序の構築を始めるのに格好の機会となると述べた。

 ASEM首脳会合には欧州連合(EU)加盟27カ国、日本、中国、インドなどアジア16カ国を含む45の国・機関のトップが出席する。

この人民日報1面の記事は、当然中国共産党中央委員会の承認を受けており、これが中国の正式の新たな世界経済政策だと考えることが当然である。世界はもうドル中心では回っていかない。もしかすると人民元が基軸通貨となる時代が来るやもしれない。中国指導部は「100年単位」で政治を考えている。対して日本の政治家の何とも頼りなく哀れなことか。この大事にホテルのバーをはしごしている総理を持った不運を嘆くことしかできない。

2008年10月26日 (日)

笑いは最良の抗がん剤

釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様」を観に。川崎のチネチッタではちょうどハロウィンのイベントの最中で、たくさんのお化けや魔女がいた。

相変わらずのハマちゃんの活躍に抱腹絶倒、涙が出るほど笑ってしまった。船瀬俊一の「笑いの免疫学」にもあるように、心と体は密接につながっている。心のありようが体の免疫系に大きな作用を及ぼしているということが、最近の精神神経免疫学で明らかになりつつある。

今日は朝からはチェロで数時間のレッスン。夜は家族4人そろって近くの居酒屋で。こんな生活がいい。体重も61キロで安定しているし、血液検査でも全く悪い値はない。癌になる以前よりよほど健康体だ。どこかにがん細胞があるには違いないが、私の免疫力が退治してくれているはずだ。再発や転移を心配して夜も寝られないなどという生活が、再発や転移になりやすいはずだ。

朝:メディテーション(瞑想)15分 サイモントン療法のCDを聞きながらの瞑想
    朝食は、玄米と味噌汁に納豆。キビナゴや鮭を少量
    会社まで歩いて行く。25分ほどで2.6キロの距離。毎日は無理なのでだいたい一日おき
    運動は最良の代替医療だ。
昼:昼食は一六穀米のランチ又はざる蕎麦
    少し横になって昼寝
   退社は遅くとも18時に。残業はなるべくしない。
   休み時間には深呼吸や瞑想の時間をとる。
夜:
   夕食も基本的に玄米菜食だが、時と場合によっては肉を摂ることもある。
   音楽を聴いたり読書をしたり。風呂は熱めでゆっくりと入る。
   9時か10時には床に入る。目覚ましは7時にかけて寝るが、時計に起こされることは少なくて、早ければ3時とか4時に目が覚めることもある。起き出してメールのチェック。音楽や読書、時にはチェロを弾くなどして、また一日が始まる。

一日がこうした繰り返しで、毎日生きていることを存分に楽しんでいる。

2008年10月24日 (金)

善意の謀略

寡黙なる巨人

多田富雄さんの『寡黙なる巨人』を読んでいて、おもしろい話に出くわした。

サプレッサーT細胞の発見で世界的に知られる免疫学者 多田富雄さんは、詩人でもあり、能の作者でもある。その多田さんが2001年に脳梗塞に倒れ、右半身不随となった。嚥下障害もあり話すこともできない。多田さんはそんな悪条件に果敢に挑戦して、出版や原爆をテーマとした新作能「原爆忌」を創作するなどの活動を続けていた。その闘病の姿をNHKが取材して、ドキュメンタリー「脳梗塞からの再生」を放映したのだが、それを見た視聴者からたくさんの励ましや激励の電話やメールが殺到したという。健康食品や民間療法を紹介した善意のものや、「免疫を高めるために・・・」と称して世界的な免疫学者に万病に効くという商品の紹介まであったという。

電話が一段落すると、今度は直接訪問が始まったそうで、突然訪問してきて居間に上がり込み、「この食品は免疫を高める効用がある、その作用は・・・・」という講義を延々と始める。

私は曲がりなりにも免疫学の専門家だ。素人の講義が間違っていることなど分かる。相手が善意でやっているだけに、追い出すわけにもいかず、しゃべれないから苦情を言い立てることも出来ない。ナンセンスな話を延々と聞かされることになる。

私は民間療法を馬鹿にしているわけではない。それを医療に取り入れるために、「補完代替医療学会」という学術団体も組織されている。私も去年、その学会長を務めた。
民間療法を含め、代替医療の治療効果は、個別性が高い。一人に効いたからといって、誰にも応用できるわけではない。ましてや万病に効くなどと信じるわけにはいかない。薬の効果には科学的検証がなされなくてはならない。そうした配慮のない善意の押し売りを、「善意の謀略」というそうだ。(「寡黙なる巨人」-善意の謀略から)

ガン患者に対して善意から「○○が効くそうよ」とか「あのひとが○○で治ったらしい。あなたも試してみたら」とか、そんな話をよく聞く。幸いにして私にはそうした"善意の贈り物"はないが、中には入院中のガン患者のベッドに○○の現物を持って来て「試しに飲んでみたら? ダメ元で・・・」などと、不謹慎なことを言う見舞客もあるそうだ。

患者の立場を考えて欲しい。せっかく持って来てくれたのだからと、勧められた○○を飲んだとしよう。そして幸いなことに彼のガンが進行しなかった、あるいは体調が良くなったとしよう。彼は、自分のガンが良くなったのは病院での治療が効いたのか、あるいは勧められた○○が効いたのか分からなくなる。○○を中止することは怖くてできない。死ぬまで○○を飲み続けなければならなくなる。

だから、善意でガン患者に○○の食品、ガンに効くという○○を勧めるのであれば、当座飲むだけの量ではなく、一生涯飲み続けることができる量なり、お金を持参するべきである。そうできないのなら、これも「善意の謀略」と言うことができよう。

免疫の意味論

多田富雄さんの『免疫の意味論』も興味深かった。人を「個」として決定するのは「脳」だと思っていたが、多田さんによると脳ではなく「免疫」によるのだという。自己と非自己を区別するのは免疫の機能らしい。免疫機能の低下によるエイズや癌の発病のメカニズムも分かりやすい。

東南アジアで水を飲むとわれわれは下痢をしますが、向こうの人たちは平気です。これが免疫の本質です。でも、不潔だからいいということじゃないんです。
問題は「部品の病気」と「関係の病気」ということなのである。部分が治ったからといって、関係が治ったわけではない。多田富雄さんはつねに「関係の病気」を研究し、そのことを文章にも、能にも、詩にも、してきた。(松岡正剛 「千夜千冊」より)

免疫学個人授業 (新潮文庫)

南 伸坊さんとの対談で免疫をかみ砕いて紹介している『免疫学 個人授業』難しい専門用語をわかりやすく、しかも内容を落とさずに紹介している。

自分自身を「世界的免疫学者」と売り込んでいる安保徹氏と比べて、その思想や人格の隔たりの大きさに納得する。(阿保氏と比べると怒られるに違いない)

「寡黙なる巨人」とは何か? 何を意味しているのか?興味があれば読んでください。

生死の境をさまよい、自死まで考えた多田さんですが、彼の「死」に対する考え方を一言で表わせば

西行も、良寛も、山頭火も、白州正子もそうであった。理想の死とは、

歩き続けて、果てに熄(や)む

2008年10月19日 (日)

今週のチェロレッスン

チェロのレッスンは先生の都合が合わないからと、代役の先生に変更。「音程は良いね」と褒められたから悪い気はしない。しかしボーイングでA線を弾くときに弦に対する直角がずれている、左手のポジション移動では、指を移動するのではなく、先に肘が移動して少し遅れてから指が移動するイメージでと指導を受けた。

これはゴーシュの「チェロの話」でも同じことが書かれている。

指が移動する時、必ずひじを先行させ、左手がしなるようなイメージで遅れて1の指を移動すること。
正確に言うと、ひじがまず次のポジションをとってから、そのひずみのエネルギーで遅れて1の指が移動する。ひじが止まっていて、指だけ移動するよりはるかにスムースに指が動きます。
全てのポジション移動はひじが先行する事を、最初ははっきり意識して行ってください。
例えば、ちょっとしたポジション移動の時、移動した先の音程が不安定だと思った時、ひじの動きをチェックして下さい。解決する場合が多いです。

もう一つはヘ音記号の譜面がまだ正確に読めていないということ。どうしても譜面に指番号を書かないと間違ってしまう。もうそろそろ指番号を書くことから卒業しなくてはならない時期だ。そこでインターネットで検索したらおもしろいサイトを見つけた。

Note Trainer 本来はピアノのレッスン用らしいが、ト音記号・ヘ音記号・テノール・アルトの譜面が選べて、五線譜上の音がどれかを当てるようになっている。間違うと赤い文字で警告してくれるし、正解率も出るようになっている。

Settingsボタンをクリックして、下図のようにへ音記号を有効にし、音域はチェロにあわせて図のように変更する。全音符をマウスで掴んで上下に移動させればよい。
Notetrainer1

Toggle Helperをクリックすると右に音名が表示されるのでこれは消しておく。
表示された音符がどの音になるかを下の記号をクリックして解答する。
私の場合は、譜面の下の音に対して間違いが多いことがよく分かった。

Notetrainer2

正解率が上がってきたら、チェロのどの弦を何番の指で押さえるのかもイメージしながらやってみると良い。

2008年10月18日 (土)

帚木蓬生「聖灰の暗号」

久しぶりに帚木蓬生の作品を読んだ。『聖灰の暗号』 」上・下だ。

聖灰の暗号〈上〉 (新潮文庫) 聖灰の暗号〈上〉 (新潮文庫)
帚木 蓬生

聖灰の暗号〈下〉 (新潮文庫) 受命 (角川文庫) アフリカの瞳 (講談社文庫) ヒトラーの防具〈下〉 (新潮文庫) 白い夏の墓標 (新潮文庫)

by G-Tools

13世紀の南フランスを舞台にしたキリスト教の一派であるカタリ派が、ローマ正教から異端の弾圧を受け、多くの信者が火あぶりの刑により殺されるのであるが、その異端審判の記録を巡って歴史学者須貝と恋人の精神科医クリスチーヌが活躍する。後半はサスペンス小説の趣だ。

須貝は、権力や政治の歴史を研究するのではなく、本当の民衆の生活はどうだったかを探るアナール派の研究者で、物語が進むに従い、カタリ派の清貧な生き方、信仰は日々の生活の中にあるという生き方に惹かれてしまいます。遊行上人と言われた鎌倉時代中期の僧・一遍や、アッシジの聖フランシスコがほぼ同じ時代の人物で、同時に信仰一筋の清貧な生き様を通したことも紹介される。それとは対照的な、弾圧する側のバチカンの聖職者とは思えない貪欲さ、拷問道具に工夫を凝らせる残虐さが対比される。

帚木蓬生の作品は、「アフリカの蹄」や「三たびの海峡」など、社会の底辺にいる者_mg_2414_1への温かい眼差しがある。「アフリカの蹄」などは山本周五郎の「赤ひげ診療譚」やクローニンの「城塞」を彷彿とさせて、これぞ小説!という読後感がある。

「帚木」は「源氏物語」第2帖の巻名であり、別に「信濃国(長野県)薗原にあって、遠 くからはほうきを立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説上の樹木」の意味もある。何年か前に薗原の地を訪れたが、伝説の木のある阿智村の神坂。中央道の恵那山トンネルの上あたり、細い山道の行き止まりに神坂神社があり、その付近だった。案内板が一枚あるだけで、木のある場所までは道もない。杣道をかき分けて登ったが、案内板に往時の姿を残して、帚木はすでに朽ち果てていた。_mg_2420_1

「蓬生(よもぎ・ふ)」も同じ「源氏物語」の第15帖の 巻名で、よほど源氏物語が好きな作家に違いない。そのせいか、作品のヒロインにも、どこか紫式部を思わせるような知性を持った女性が多い。「賞の柩」のヒロイン紀子もそうした女性で、パリで絵の勉強をしている。彼女が、医者である父の死をきっかけに、フランスの画家スゴンザックの作品にひかれるようになり、その日のうちにパリ行きを決心する。

「下手でしょう」。紀子はスゴンザックの絵を前にして、いたずらっぽく言った。

不思議な絵だ。表面的には高校生にでも描けそうな風景画だが、風景を見つめている画家の目、体温、心臓の音がじかに伝わってくる。
パリ郊外の風景が無造作に描かれている。奇抜さや高度な技術もない。画家は素直に自然と向き合っていた。

そのスゴンザックの作品が倉敷の大原美術館に一点あるというので、これも数年前だが出張の帰りに観にいった。電車の時間が迫っていたので、駆け足で係員に絵のある場所を聞き、スゴンザックの作品だけを観て帰ったことがあった。積み藁を描いた作品だったと記憶している。モネの同じ「積み藁」という作品の明るい色調に比べても、暗くて、決して上手な絵ではなかったが、どこかに農村の臭いのする絵だった。

2008年10月11日 (土)

吉良川の秋祭り

室戸市吉良川町は「白壁と水切り瓦の町」。国選定重要伝統的建造物群保存地区Img_0654_2 に指定されている。10数年前、まだインターネットが今ほど盛んではない頃、Niftyのパソコン通信で「街興し」のフォーラムがあり、私も参加してこの街の紹介を議論したことがある。

_mg_0698 倉敷の美観地区を初め、飛騨高山・馬籠など「蔵のある町」は今では全国至る所にあり、その多くが観光地化して、静かなたたずまいをゆっくりと鑑賞する場所ではなくなってしまったが、吉良川の町並みはまだ俗化していなくて、住民の生活の中に古い建物が溶け込んでいる。

11日はちょうど秋祭りのころで、その準備に提灯を飾り付けた花台(山車)も出ていた。祭りのピークは今夜らしいが、帰りの飛行機まで_mg_0684 の時間をここで写真撮影と決めた。

吉良川は背後の山に育つ良質のウバメ樫や青樫を原木にして土佐備長炭が生産され、近世から昭和初期まで、その集積地として栄えた町である。海岸に近く台風も多い土地であるので、壁に斜めに降り注ぐ雨への対策として「水切り瓦」があり、海岸の石を使った「石ぐろ」の塀がある。閉じれば雨戸、開ければ広縁になる「ぶっちょう」やなまこ壁の家もある_mg_0785

こうしてカメラを担いでの撮影は、運動にもなり、好きなことをやっているというリラックス感がある。以前は人に見せる写真を撮らなければという想いがどこかにあったが、今は自分が撮りたい写真を撮っている。楽しいことを楽しくやる。チェロもしかり、ガンにはこれが一番の抗がん剤だ。

その他の写真は左のサイドバーから・・・

2008年10月10日 (金)

墓の移転

今日は羽田から高知へ。レンタカーを借りて帰省しました。

目的は墓地の移転。両親と弟の遺骨を東京に移転するために。屍櫃(かろうと)を開けるとすごい湿気で鍵もさび付いていた。三柱の骨壺を出して段ボールに納めて荷造り。宅配便に依頼して終わり。何とも簡単。骨だからクール宅急便にする必要もなし。

何万人というガンからの生還者に共通していることは、心と生活を徹底的に一変させたという点である。一つには「死」に対す考え方。多くのガン患者は「ガンと診断された以上、私は確実に死ぬだろう」というものであろう。しかし、ガンからの生還者は「進行していようとしていまいと、ガン=死ではない。ガンは正常な細胞を攻撃したことは一度もない。がん細胞は、ただ単に増殖することによって正常な細胞の機能を妨げる。だから、私は死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」というもの考え方である。
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「私が死ぬはずがない」ではない。そうした考えは、ガンと闘うために必要な行動を忘れ、無視することにつながる。「私にできることをやる。その結果、死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」。これ以外に考え方における選択肢はあるだろうか? 生も死も不確実であるから、そんなものを相手に思い悩むことはばかげている。自分の行動によって影響を及ぼすことができる範囲に、持てるエネルギーを集中すべきだ。

人は必ず死を迎える。いずれは何らかの原因で死ぬのであるなら、ガンで死ぬPhotoことは「そんなに悪いなにか」ではない。今回の墓地の移転のように、やっておくべきことを片付けておくこ とができる。ありがたいことではないか。

翌朝は早起きして近くの漁港へ。夜明け前の暗く沈んだ漁港の片隅にス ナックがぽつんと取り残されたように建っていた。

2008年10月 9日 (木)

代替医療はニセ科学か(6)終わり

_mg_5085_2疑似科学と科学の哲学 』伊勢田哲治著による科学と疑似(ニセ)科学の線引きは可能かどうかという問いに対する結論は、「明確な線引きはできない」ということだった。しかし、これは科学とニセ科学を区別できないということを意味しているのではない。例えば適当でないかもしれないが、男と女の線引きは明確には難しい。というのも性同一性障害や先天館手術の例を考えてみれば、男女を100%区別できるとは限らないと言える。だからといって、男と女に違いがないかというと、そういうことにはならない。

代替医療においても、オーラを写真に写して診断するという「キルリアン写真」といういかがわしいものから、ヨーガ・マッサージ・鍼灸などのなじみのあるものまで、幅が広い。現代(正統)医療にしても、昔は正しかったといわれたものが今は間違いだという例は枚挙にいとまがない。

正統医療の方法では「もう打つ手がありません」と言われたガン患者にとって、プラシーボであれ何であれ、万に一つも治る可能性があるのならやってみたいと思うのは当然のことであり、しかしそこに悪徳業者や悪徳医者が虎視眈々と狙ってくるのだが。

私のサバイバーへの挑戦スタンスは次のようになろう。

  1. 適用できる現代医療があるのなら、それを受け入れる
  2. 代替医療と現代医療の統合を図る
  3. 治るという信念と治す姿勢を持ち続ける
  4. 運動と食事を計画的に改善する
  5. 「今ここに」生きていることに感謝し、充実した一日を過ごすこと
  6. 人生の目的は、楽しむことである
  7. しかし、社会への貢献という目的意識を無くしない
  8. 死と闘って勝った人はいない。勝てるはずのない相手と闘おうとするから、悩みや迷いが生じる。死ぬときがくれば、ただ受け入れて死ねばよい。

代替医療を取り入れるならば、次の考え方です。

  1. 害のないものから取り入れる。
    例えばメディテーション、サイモントン療法などは、たとえ効果が無くても害になりそうにはない。
  2. 高価なサプリメントは、そのほとんどがインチキである。
    安価なもので害がなさそうなら取り入れてみる。効果を確かめながら、続けるかどうかを考えればよい。ビタミンC、E、セレン程度がその対象になる。
  3. 健康食品は、少しでも科学的な実証データのあるものを選ぶ。
    アガリクス・サメの軟骨・プロポリスなどの中では、AHCCが金沢大学と大阪大学で臨床試験が行なわれており、PubMedにもその第一相試験の結果が載せられている。ということで他の健康食品よりは少しは”科学的かもしれない”という期待が持てる。
  4. プロバイオティクスは最近科学的データでガンへの有効性が証明されつつある。
    乳酸菌・ビフィズス菌・納豆菌というような種類。ヤクルトのシロタ株など。これに関してはまだ調査不足。
  5. 食事に関しては玄米菜食。少なくとも害は考えられないだろうし、これまでの数ヶ月間を考えても健康への効果はあるように思える。
  6. 音楽療法
    これは元々好きだから、それを治療だと考えれば良いだけのこと。楽しむべし。もっとモーツアルトを。

「代替医療はニセ科学か」などと、大上段に構えた割にはありふれた結論になってしまったが、逆転ホームランのような劇的な治療法はないのだから、イチロウのようにこつこつとヒットを狙って継続する、ということです。_mg_5224

今日からフジテレビ系列で倉本聰の「風のガーデン」が始まります。主人公の中 井貴一が演じる麻酔科医は末期ガンであり、チェロも弾くという設定らしいです。なんだか私のことのような気がすると言ったら、妻と娘が「でもお父さんは、医者じゃないでしょ」だって。それはそうに違いないが、自分の病気の主治医は自分だと思っているんだけどなぁ・・・・。デリカシーのない家族だなぁ。ま、いいか。

富良野の写真を2枚     (終わり)

2008年10月 2日 (木)

シベリウスのヴァイオリン協奏曲

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、ベートーベンのそれと同じ程度に私の好きなヴァイオリン協奏曲だ。どちらかと言えばシベリウスのほうが、北欧の雰囲気を感じさせて、好みだと言える。シベリウスの曲は交響曲第2番もよく聴いていたものだ。

トゥオネラの白鳥も含めて、彼の一連の曲が、 暗い現実の彼方に一条の光明を感じることができる。嘆きや悲しみ、はかなさに満ちたこの世だが、あきらめてはいけないよ。行く手には明るい光もない訳じゃない。こう訴えているように感じて、モーツァルトやバッハの曲に疲れたときにはよく聴く。

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

これまでは巨匠アイザック・スターンとユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア交響楽団のもの。SACD版のヴァイオリン協奏曲を欲しくて探したが、諏訪内晶子のものしかないようで、しかも在庫なし。輸入盤の中古を何とか手に入れて聴いてみた。録音は文句なくよい。S/N比が高く、ダイナミックレンジが非常に大きい。残響は多すぎず、個々の楽器の分解度も高くて、オーディオファン向きの優秀録音盤という評価も納得できる。
演奏は、曲の流れが少しぎこちない。さすがに巨匠スターンと比べるのは酷かもしれないし、名だたる名演奏がある中で、影が薄くなるのは仕方がないが、女性らしい優しいヴァイオリンだし、まぁ美人だから良いか!

交響曲第2番は、コリン・デービス指揮のボストン交響楽団のものと朝比奈隆の大阪フィル。朝比奈隆のをよくかける。

朝比奈隆では、ベートーベンの交響曲全曲を新日本フィルとサントリーホールで演奏したCDを図書館から借りて聴いている。こちらもHibrid SACD。定価9450円では衝動買いするには高すぎる。図書館さまさまです。まだ3番までだが、これまではベートーベンの交響曲は「心がまえて」聴くような感じだったのが、タイムドメインのシステムでは同じCDなのにゆったりと聴くことができる。聴くていても疲れないから不思議だ。「これぞ朝比奈隆」といえる演奏です。難解な解釈による小細工は一切なしの質実剛健、重厚で実に恰幅のよいベートーヴェンです。「楽譜に忠実に」といった朝比奈の演奏哲学をオーケストラが見事に汲み取っています。

シベリウスの交響曲全集を出しているアイスランド交響楽団が10、11月にやってきて、全曲を連日演奏するらしい。すみだトリフォニーホールで11月4日から7日まで連続して演奏だ。大変な熱の入れようだ。

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