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2009年3月19日 (木)

一年有半

3月15日の朝日新聞読書欄に、早坂暁の「大切な本」というエッセイがあった。タイトルが『死を恐れぬ明治の男 昭和の男も死と対決』と、なんとも痛々しい。

  人にとって大切な本は、人生最終の帰結である"死"を納得させてくれる本だと私は思っている。
  50歳のとき、突如として病気の集中豪雨に襲われた。心筋梗塞、胃潰瘍、膵臓炎、、胆石、大腸ポリープ群などなど。突然の襲来かと思ったが、ナニ、たばこは1日100本、3食はすべて肉食、酒をくらい、睡眠3時間の仕事生活の当然の帰結であった。
  さて、胃は全摘してもらい、心臓は半分が壊死しているから、開胸してバイパス手術をすることとなったが、直前に胆嚢に癌が発生していることがわかった。 
   絶体絶命の四文字が脳裏を飛びかう。しかも胆嚢の癌は力強く進行していて、手術しても余命1年半と告知されてしまったのだ。
   突然に死と向かい合って、泥縄の死の研究にとりかかった(笑)。
   心のある友人がたちまちエリザベス・ロスさんの『死ぬ瞬間』、キルケゴールさんの『死に至る病』を差し入れてくれるが、キリスト教をベースにした死の研究本だ。しっくりこない。   
    「おい、これはどうだ」
    と、さらに心ある友人が中江兆民さんの『一年有半』をもってきた。東洋のルソーといわれた兆民さんが55歳のとき喉頭癌になって手術をしたが、「余命はいいとこ1年半」と医者にいわれて、さらばと『一年有半』『続一年有半』という本を書いて、死と対決したのだ。明治34年刊行で20万部を超える大ベストセラーとなったのだからすごい。
   「これ、これ」とばかり読んでみると、すごい。なんと「1年半というが短くはない。わたしにとっては悠久だと言おう。私は虚無海上の一虚舟だ」と喝破して、死なんか恐れていない。坂の上の雲を目指す明治の男は、平気で死んでいくんだぞとカッコいい。タハッ-! 同じ余命1年半の昭和の男にはカッコよすぎて、どこか腑に落ちないが、時間はない。これでもって、死と対決するしかないと覚悟を決めたのだ。

「東洋のルソー」といわれた中江兆民は、土佐の生まれ。植木枝盛、中江兆民、幸徳秋水と続く自由民権の系譜が、『自由は土佐の山間から』と言われるように、土佐は多くの偉人を排出している。少年の頃の中江篤助(兆民)が、長崎で坂本龍馬で「中江の兄さん、タバコこうてきておうせ」と言われて喜んで買いに走った、「何となく偉い人也と信じ」きっていたという。

大阪四区から衆議院議員に当選した兆民は、しかし、自由党員らの裏切りに愛想を尽かして、「衆議院、彼は腰を抜かして、尻もちをつきたり。総理大臣の演説に震懾(しんしょう)し、解散の風評に畏怖し、両度まで否決したる、すなわち幽霊とも言うべき動議を大多数にて可決したり・・・無血虫の陳列場・・・やみなん、やみなん」と言って、議員を辞職する。この文章は、そのまま現在の日本の政治家を批評しているようでもあり、多くの非正規社員が路頭に迷うという年度末に、西松建設の献金疑惑や国民が要らないという定額給付金を押しつけようとする自民・公明党と民主党にそのまま当てはまりそうだ。その辞表の弁がおもしろい。「小生こと、近年アルコール中毒病相発し」歩行も困難で採決の投票も難しい状態だから辞職したい、と人を食った内容だった。土佐のイゴッソウはかくあらねばならない。酩酊中川大臣に読ませたい辞表ではないか。

酒好きの兆民先生が芸者を相手に遊んでいるとき、自分のキンタマ(陰嚢)を拡げてそれに酒を注ぎ、芸者に飲めと勧めた。その芸者もたいしたもので、顔色一つ変えずに酒を飲み干したそうだ。そして「ご返杯を」と、熱燗を先生の拡げた陰嚢に注いだからたまらない。兆民先生は天井まで飛び上がって「悪かった。許せ、許せ」と謝ったそうな。

一年有半・続一年有半 (岩波文庫)

話が脱線したが、55歳の兆民は、旅先の大阪で喉頭癌が見つかり、帰京することもできずにそこで治療することになる。激しい痛みと食事も豆腐しか食えない。余命一年半と告げられて、一切の虚飾を廃止、一個人となって悠々闊達に政治と義太夫と身辺を語る。

「一年有半」は岩波文庫にあるが、漢文の素養のない私には漢文調の文字は読みづらい。中央公論社から『日本の名著36 中江兆民』が出ており、こちらは現在文に直してあるので、私にはこちらの方が取っつきやすかった。

    「一年半。諸君は短いというだろうが、わたしは悠久だと言おう。もし短いと言いたいなら、十年も短いし、五十年も短い。百年でも短い。生には限りがあるが、死後は限りがない。限りある生を限りない死後に比較すれば、短いどころではない。はじめから無なのだ。もし、することがあって楽しむなら、一年半はまさしく利用するのに十分ではないか。ああ、いわゆる一年半も無であり、五十年、百年も無である。つまりわたしは虚無海上の一虚舟なのだ。」

火の虚舟 (ちくま文庫)生命とは何か―複雑系生命科学へ

松本清張の小説『火の虚舟』は兆民のこの言葉から取ったものだ。「虚無海上の一虚舟」。この言葉もいい。人とは、命とは、所詮は超新星の爆発によってこの宇宙に散らばっていた原子・分子がたまたま集まってこの地球を作り、長い時間を掛けて生命を誕生させたものだ。わたしたちはその仕組みをまだ十分には解き明かしてはいないからそれを仮に「宇宙の叡智」と呼ぼう。その「叡智」により、今の自分が生まれたのだ。『生命とは何か=複雑系生命科学へ』が言うように、単に化学的反応に還元できない生命の神秘がある。しかし、所詮は大宇宙の物質の流れが淀んだようなものが生命であり、いずれはものと物質へと、元の流れへと戻っていくのである。その意味で「生まれる前も悠久であり、死後も悠久」である。生の百年なんかはまさに「無」でしかない。老子の言うように「死」とはもとの「静けさに帰る」ことだ。

正法眼蔵〈1〉

道元の『正法眼蔵』にも生と死に関して舟を例えに持ち出した章がある。「第二十二 全機」の現在語訳ならこのようになる。

    生というのは、例えば、人がふねにのっているときのようである。このふねは、私が帆をつかい、私がかじをとっている。私がさおをさすといえども、ふねが私をのせて、ふねのほかに私はない。私はふねにのって、このふねをもふねであるとさせる。この正にその時を功夫参学すべきである。この正にその時は、舟の世界にないということはない。天も水も岸もみな舟の時節となっている、決して舟にない時節と同じではない。このゆえに、生は自分が生じさせるのであり、私を生が私であるとさせるのである。舟にのっている〔とき、人〕には、身心依正(身と心と依報(環境)と正報(身心))、ともに舟の機関である。尽大地・尽虚空(全大地・全虚空)、ともに舟の機関である。生である私、私である生、それはこのようである。

私にとって死を納得させてくれ書物は老子であり、良寛、道元、兼行である。しかしそれだけでは足りない。宇宙とは、時間と空間とは、その中での生命とは何か。この世界の有り様を知ることも、死を納得する過程では避けて通るわけにはいかない。兆民先生も同じ思いだったようで、『続一年有半』は死の直前、わずか10日程度で書き上げたという唯物論哲学のエッセンスである。死の床にありながらこれほどの内容を、記憶だけを頼りに書き上げる精神力に圧倒されてしまう。別名を『無神無霊魂』というこれには、兆民の空間・時間・精神に関する哲学的考察が書かれている。エンゲルスの『自然の弁証法』にも匹敵するようなこの著作が明治の日本人によって書かれ、こんにち読んでも決して古くさくないことに驚くばかりである。

余命何ヶ月と言われ、何とか助かる魔法の薬はないものかと右往左往するのは見苦しい。今の自分に可能な手段を尽くしてそれでも駄目だと分かったなら、残された時間を意義あるものに使わなければ、それこそ「もったいない」。諦めてしまえと言うのではない。「癌とは闘え、しかし死とは闘うな」ということだ。死と闘っても負けるに決まっている。負けると分かった戦は気が滅入り、疲れるばかりか、逆に免疫力を損なってしまうだろう。治る癌も治らなくなるに違いない。どこかに「まぁ、こんなものか」という気持ちがなければ、いつまでも諦め悪く、癌の特効薬を探すばかりで貴重な時間を費やすのは愚かなことだ。短い人生が、わずかばかりより短くなったからといってオタオタすることではないではないか。

私はそんなことに頭を使わないで、今日も好きな本を読み、ショパンを聴き、チェロを弾いて、楽しい一日だったことに感謝している。


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コメント

 私も朝日を読んで、兆民先生の本を取り寄せました。漢文で読みづらいのですが大意は分かります。ヘンな話ですが、早坂さんはさんざん気ままな生活をしてきて、もう七十歳になられるはずで、
久坂部羊さんの「日本人の死に時」を持ち出さずとも、いい死に時だと思いますが。
 問題はというか、それよりぐっと若い年代で、「癌とは闘え、しかし死とは闘うな」という覚悟をどう
持つかということかと思います。いや、年齢など関係ない、と言われそうですが。
 いつも、大変に関心深く、読ませていただいております。

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