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2009年6月21日 (日)

『がんと仲良く暮らす』ひろさちや・佐藤昂

「がん」と仲良く暮らす

『老いてはがんに従え』という佐藤昂氏の著作があります。読みたいと思いつつ、手に入れられないでいます。アマゾンで購入すれば簡単に手に入るのですが、私の本購入の基準は、まず区の図書館から借りてみる。そして手元に置いておきたい本であれば購入する。こんな基準で本を買っています。欲しい本を手当たり次第に買っている余裕はないし、本棚がいっぱいになってしまいます。読んでみたらたいしたことは書いてなかったという経験も多かったためということもあります。

そんなわけで図書館にない『老いてはがんに従え』は読んでいなかったのですが、3月に佐藤昂氏がひろさちやとの共著で『がんと仲良く暮らす』を出版されました。こちらは図書館にあったので早速借り出して読んでみたというわけです。

佐藤昂さんの闘病記が「がんサポート情報センター」にアップされていますから、治療の経緯などはこちらを参照することができます。
がんと生きる 闘病記 佐藤昂さん

世の中には多くの「がん闘病記」が出回り、がんと壮絶な闘いをした人の記録が注目を浴びている。しかし、がんに対する恐怖ばかりが強調されるのではなく、がんと共生し、がんから生き方を教えられながら生きている人が多いことも知ってほしいと、佐藤さんは力説するのである。

この考えは共感できます。がんと壮絶な闘いをして破れたけれども立派に闘った。こんな闘病記だけが闘病記ではないし、こんな闘病記ばかりでは希望の持ちようがありません。これまでの生き方を反省して、180度方向転換して普通に暮らしていたらがんが消えてしまった。あるいは大きくならないで何年も生きている。こんな闘病記がたくさんあって欲しいと私は思います。

『がんと仲良く暮らす』で、ひろさちやはこう言います。生きることが厳しい砂漠の地から生まれたキリスト教は、人間は自然と闘って生きるために神から命を貰ったのだから、病気になれば病気と闘って生きる生き方が賞賛される。勝つために闘うのではなく、負けると分かっていても闘うことが賞賛されるのです。神は必ず味方をしてくださるから、勝ち負けは考えないで闘って生きなさい、というのがキリスト教、西洋の考えです。

東洋の考えは、病気になったら病人として生きよ。とうことですが、現在の私たちは西洋風の「闘って生きよ」の方に重きを置くようになってきたようです。壮絶な闘病記が注目を浴びるのはそんなふうに私たちの考えが変わってきたということなのかもしれません。私たち日本人の本来の生き方は、良寛さんの言葉を借りれば、

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候

ひろさちやも同じ良寛の言葉を引用して、「がんになれば、がんになるがよく候です。がん患者として生きるほかないのだから、がん患者として生きればよいのです。」と言います。私は更にこう言いたいのです。「是ハこれがんをのがるる妙法にて候」

がんになったらがんを受け入れる。死ぬときが来たら死を受け入れる、そんな心の有り様になったとき、身体の免疫力が高まり、がん細胞が小さくなっていくに違いないのです。がんを恐れ、死を恐れてびくびくと生きるのではなく、笑ってのんびり生きる、これががんと闘う妙法です。

どのような生き方をしたいのか、これを決めるのが先であり、そのあとにどんな治療を受けるかを決めるべきです。どんな副作用や苦痛も我慢して、使える限りの抗がん剤を使って数ヶ月あるいは数年の命を延ばす方を選ぶのか、がんをありのまま受け入れて、死ぬ時を決めるのか天命、それまでの時間を有意義に過ごす方を選ぶのか、ということでしょう。

「残された時間を有意義に過ごす」。このことばも闘病記やいろいろのところで聞かされます。でも「有意義な人生」ってなんでしょうか。立派な科学的真理を発見し、ノーベル賞を貰うことでしょうか。あるいはマザー・テレサのような人生でしょうか。だとしたら我々凡人には「有意義な人生」は無理だということになります。先日のブログに書いたニュートリノに質量があることを発見し、ノーベル賞候補だといわれた戸塚洋二さんでさえブログでこのように書かれています。

残りの短い人生をいかに充実して生きるか考えよ、とアドバイスを受けることがあります。このような難しいことは考えても意味のないことだ、という諦めの境地に達しました。私のような凡人は、人生が終わるという恐ろしさを考えないように、気を紛らわして時間を送っていくことしかできません。

戸塚洋二さんでさえ「凡人は」というのですから、私のように正真正銘の「凡人」は有意義な生き方に迷ってしまいます。

いずれは死ぬと分かっているのだから、ギャンブルや女遊びをやりたいだけやって、自堕落に生きることでしょうか。まぁ、これも有りかもしれませんが、「のんびりと自由に生きる」ことです。「人生を楽しむ」ということは、楽しい時には楽しいことを楽しむ、音楽を聴くもよし、写真を撮るもよしです。人間は目的を持って生まれてきたわけではないのですから、生きがいなんてものを探すことは無意味です。人生は「幸福を実感する」ためにあるのです。逆に、苦しいときにはその苦しい時を「楽しむ」のです。実感するのです。苦しめばよいのです。泣きたいときに泣けばよいのです。多くのサラリーマンは上司や顧客の無理難題に怒りたいが怒れない、泣きたいが泣けない思いをしてきたに違いありません。これでは人生を生きていると言えないでしょう。だから、せっかくがんになったんだから、悩めばよいし、泣きたければ泣けばよいのです。苦しいときは苦しめばよいのです。<私も良寛さんに少し近づいてきました>
これが人生を生きる、有意義に生きるということでしょう。こんな「有意義に生きる」なら、私のような凡人にもできそうです。


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