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2016年4月20日 (水)

今日の一冊(42)『いのちの苦しみは消える』

元国立がん研究センターの内科医であり、現在は栃木県益子町・西明寺の住職と、境内にある普門院診療所の医師の二足のわらじを履いている田中正治医師。しかし、2014年10月にステージ4bの膵臓がんが見つかり、肝臓への転移も見つかって、余命数ヶ月と覚悟はしている。

最近多くのマスコミで紹介されたので、ご存じの方も多いかと思う。

田中医師の言いたいことは二つ。

私は常日頃から、がん患者と向き合ってきただけに、がんと分かった時は驚きも悲観もなく、とうとう自分の番が来たかと思いました。もっとも、そう思えるのも私が宗教家として心を整え、『自分に執着しない心境』を得ているからともいえます。

と言う田中医師。しかし我々一般の煩悩多きがん患者では、そう簡単に「死」を受け入れ、命への「執着」を手放すことはできない。

そのためには、医療施設にスピリチュアル・ケアワーカーをおくことが必要だ。 体の痛みを止める医師が必要であるのと同じように、『いのちの苦』の専門家が必要です。それがほとんどいないのは日本の医療の欠陥だと述べています。

人というのは、元気なうちは自己の欲望にとらわれたり、怒ったり、他人を差別したりするものです。しかし死が避けられないとなったときは、そうしたことから離れて、自分のいのちを超えた価値を獲得するチャンスでもあります。いのちより大事にしたいもの。それは信仰を持たない人にとっても、自身の『宗教』だと思うんですよ。それに気づくことができれば、その大事なもののために残りの時間を生きることができるのではないでしょうか。

余命宣告されて「いのちの危機」が訪れたとき、それは「いのちが危ない」と同時に「機」は「チャンス」の意味もある。いのちが危ないときこそ、自分のいのちより大切なものを見つけることができたなら、それはその人にとっての「宗教」であり、ホスピス運動の創始者、シシリー・ソンダース女史が「死にゆく人の尊厳」とは「死んでゆく人が、自分の人生に価値を見出すこと」と定義したように、尊厳を持って死を迎えることができるに違いない。

田中医師はこうした立派な死生観と信仰心を持って死に臨んでいるのだが、それじゃわれわれ凡人はどうすればそうした心境になれるのだろうか。今から般若心経を読んでも間に合わない。あたりまえだが、この本にはそうした近道については書かれていない。

私としては、ブログのこちらの記事『死ぬのが怖いのはなぜか?』でも書いたけど、前野隆司氏の『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』の方がお勧めだと思います。


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