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2016年11月16日 (水)

Eテレで『正法眼蔵』をやってるよ。

Eテレの『100分de名著』は道元の「正法眼蔵」。
お釈迦さんが捉えた「正しい教え」を読み解く知恵が必要だよ、が書名の意味。

このブログでも何度か取り上げてきた。

  1. 道元の「生死」観:『正法眼蔵』がおもしろい(2)
    の法あるなかに、生あり、死あるなり。(「正法眼蔵」「全機」)Life does not come, life does not go. Life is not...
  2. 道元の「生死」観:『正法眼蔵』がおもしろい
    道元の『正法眼蔵』は難解だ。石井恭二や増谷文雄の訳を読んでもなんだか分かったようで、よく分からない。諸法の仏法なる時節、すなわ...
  3. 死ぬのが怖いのはなぜか?
    ぬことの違いを考える道」などは、道元の『正法眼蔵』(現成公案)にある次のような一節を思い出させる。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとえば、冬と春...
  4. 一年有半
    はもとの「静けさに帰る」ことだ。道元の『正法眼蔵』にも生と死に関して舟を例えに持ち出した章がある。「第二十二 全機」の現在語訳ならこのようになる。 ...
  5. 彼岸花と道元の死生観
    に手術で入院したとき、この機会に道元の「正法眼蔵」を読んでみようと石井恭二の「正法眼蔵」五巻本を買ってみたが、入院中は本を開いてもさっぱり頭に残らなかった。こ...

難しいです。トイレでの尻の拭き方までも克明に記している。そんなところは読み飛ばして、興味のあるところだけを読むのが私流。

ひと言で言えば、「がんでも良いじゃないか、がんになった身体も、治りたいという欲も、全て捨て去ればよい」これが「身心脱落」

「今この時間を、病人をしっかり生きよ」です。

しかし、薪と灰についてのひろさちやの説明、違うなぁ。ここは「生」と「死」に対する道元の革新的な考え方だよ、と私は思う。

「現成公案」には、

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。

しるべし、薪は薪の法位に住して、さき ありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごと く、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。

このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、 法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春 の夏となるといはぬなり。

生と死に因果関係などはない。前後の関係もない。生は生で独立であり、死は死で独立である。冬が春になるといわないのと同じで、生が死になるとはいわないのである。

生も死も、全宇宙の全現成としてそこに働いている姿である。彼岸花には彼岸花の時間があり、生があり死がある。それは彼岸花に備わっている時間であるから、大樹の時間と比較して長いとか短いということは意味のないことだ、と言っているのだ。

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