複雑系

2017年1月 8日 (日)

新年の誓い10か条

Evernoteのテンプレートに「新年の誓い10か条」というのがあったので、誓いをたててみた。

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穆如清風(ぼくじょせいふう)とは、

『穆として清風の如し』と読む。『詩経』の烝民の詩の中の一句である。作者尹吉甫は周の宣王に事えた名臣だが、弱きものをしいたげず、強きものを恐れず、治績が多かった。しかるに其の功を私せず、宣王の徳は和穆清風の万物を感化するようだとたたえているのである。

穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点 中田力氏の著作『穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点』のタイトルでもある。

医療における不確定性は、複雑系のもたらす予想不可能な行動に由来し、実際にやってみないと結論が出せないことで満ちている。そして、やってみた結果が予想と反することなど日常茶飯事である。

それでも、現実的には、病に悩む人々に複雑系の理論を説いて納得を促すことは無理である。現場の臨床医は神に尋ねることも許されず、医学にすべてを委ねるわけにもいかず、不確定さを理解した上で、患者の選択すべき道を決定論的に示さなければならない。もっとも適切な選択は経験則だけが教えてくれる。しかし、それが必ず良い結果を生むとは限らない。だからこそ医療は、医師と患者との間に、ある種の盲目的な信頼関係がなければ成り立たないのである。

医師は神であってはならない。しかし、同時に、単なる人間であってもその責務は果たせないのである。(中田力『穆如清風-複雑系と医療の原点』より)

他人から評価されなくても泰然としていろ。がんが治るか治らないかなんて、自分の力の及ばないことに悶々とするな。関心のある領域にエネルギーを注ぐのでなく、影響を与えられる領域にこそ力を集中しろ。

ま、そういうことですね。

2016年4月 7日 (木)

人間もがんも複雑系だから奇跡が起きる

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窓から何かが・・・


人間(も含めて生命すべて)は複雑系です。複雑系についてはいろいろとブログで書いていますし、右の検索窓から検索できます。

宇宙の神秘と同じくらい人間の身体も神秘に満ちています。がんも免疫も複雑系です。世の中、ほとんどが複雑系なのですが、私たちはその中からいくつかの法則を拾い出して単純化して世の中を見ているのです。

複雑系では下人と結果が一対一に対応しません。同じ病期の同じような病状の方に全く同じ治療をしても、結果はさまざまです。私やあなたという具体的な個人の病気の予後をエビデンスだけで考えることには無理があります。蝶の羽ばたきに似た、なにかちょっとした違いがトルネードを引き起こすと言われるように、思いもよらない対応でがんが奇跡的に治ることもあるのです。これも複雑系だからこそです。

樹木希林さんなど著名な方も治療を受けているUMSオンコロジークリニックの植松稔先生が、「オンコロ的奇跡の連鎖」と題した連載を始めています。Webに連載して、いずれは書籍化する予定かもしれません。

オンコロ的奇跡が起きるとき、そこには患者さんの身体に備わった免疫の力が大きく関与していると考えています。そう考えないと説明がつかないケースばかりなのです。

ステージ4なのに抗がん剤の力を借りず、むしろそれを排除してから病状が改善していく患者さん達。

リンパ節転移が認められているステージ2−3なのに、標準治療とされる抗がん剤に頼らない道を選び、とても元気に毎日を過ごしている患者さん達。

ステージ1で薬物療法を一切用いずに、世間の一般的な標準治療以上の長期生存効果を上げている患者さん達のグループ。

いずれの患者さんの場合も、患者さんの身体に本来備わっている免疫力、生命力が十分に発揮されることが重要であると考えています。オンコロジーで奇跡が起きるとき、それは患者さんの身体内で起きているのです。オンコロジーの治療室は、そのためのささやかなお手伝いをしています。これが35年間がんの放射線治療を続けて来た私の現時点での結論です。

連載の初回での結論をまとめると、

  1. 抗がん剤を漫然と使い続けると、免疫力が低下して、がんの進行を早めてしまうことがある。
  2. 放射線治療によって破壊されたがん細胞が、免疫細胞と接触することによって、一種の”がんワクチン効果”が現れることがある。

2.は仮説としても面白いですね。自分のがん細胞だから、その抗原を免疫細胞に提示すれば、免疫細胞はまちがいなく敵を見つけて殺そうとするに違いない。そのためにも、身体の免疫力を高く保つことが重要になるのでしょう。

次回からの連載が楽しみです。

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2014年9月25日 (木)

がんと微小環境

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牧野植物園(高知市)できれいに咲いていたニンファエア「紫式部」(スイレン科)。
横から鑑賞するのが一番お勧めらしいので、横からのショットも。
なるほど、優雅にすらっと立っている紫式部のような麗人という感じでしょうか。

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昨夜のEテレ スーパープレゼンテーションはミナ・ビッセルの「がんの新しい理解につながる実験」でした。

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放送が始まってすぐに「あれっ、このプレゼンは見たことがある」と思いました。昨年2013年2月2日のこのブログの記事『がんとエピジェネティクス(5)微小環境と自然寛解』で紹介した動画でした。

細胞はその周辺の組織と相互に信号のやりとりをしている。遺伝子の発現は、この微小環境、細胞外マトリックス(ECM)と通じて、周辺の細胞あるいは身体の他の部分の要求、さらには脳(心)のコントロールを受けるのである。がん細胞は、表面のレセプターやシグナル伝達が異常なレベルになっており、細胞内の信号の伝達経路もめちゃくちゃになっている。

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そして、微小環境とがん細胞の構造を変えてやれば、悪性細胞が正常な細胞に戻ることが証明されたのです。

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私の昨年のブログはエピジェネティクスの観点から、がんと微小環境を考えたものでした。昨夜の番組ではエピジェネティクスにまで触れることはありませんでした。2013/2/2の記事から一部を抜粋します。

がん細胞と正常細胞の相互作用は、がんの進行に拍車をかけることもあれば、その進行を止めて自然寛解に導くこともある。がんの自然寛解は、体細胞突然変異説(SMT)では”奇跡”のように見えるが、組織由来説からみれば、がん細胞の正常なふるまいの範囲なのである。この自動修正は、幹細胞でも、完全に分化した細胞でも起きる。

がん細胞の周辺の微小環境に注目する組織由来説では、細胞間の相互作用が破綻すると、それによって細胞の内部環境が変化し、非メチル化などのエピジェネティックな変化が起きてがんが発生すると主張する。発がん物質は細胞の相互作用を破綻させ、その結果がんが引き起こされる。

がんの進行の第一段階はエピジェネティックな変化であり、それは逆行させることもできる。相当進んだがんでも、適切な条件を整えれば、エピジェネティックに逆行させることが可能である。微小環境論では、その適切な条件とは、免疫反応と、周囲の健康な細胞との相互作用であるとする。

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2012年1月10日 (火)

親鸞と複雑系科学

昨年の4月25日の東電・保安院の外国人記者向けの会見に、一人も記者が出席しなかったとの報道がありました。普通の人間の感覚なら、記者会見を中止するのでしょうが、原子力保安院の方々は、一人もいない会場に向けて30分間延々と予定の発表を行ない、最後には「質問はありませんか?」と椅子に向かって問いかけたのでした。

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今を生きる親鸞 どうすればこのような奇怪な行動をとれるのか不思議でしたが、その謎を説明してくれた人がいます。安冨歩さんという経済学者ですが、彼が『今を生きる親鸞』という本で、「人間知性における闇、人智の闇」とのテーマで本田雅人氏と対談し、次のように言っています。

東大の人はおかしさが表面に出ないようにする技術に非常に長けている。彼らはそういうことがやれる。どうしてかというと、それが仕事だから、やらなくてはいけないと思っているからです。やればきちんと仕事をした、と褒められるからやっているのです。彼らは自分の感情と思考を切断するということをしているからそれができる。

実は安冨歩氏のことは最近まで知りませんでした。どこで知るようになったかというと、ICRPのことで中川保雄氏の『放射線被曝の歴史』という本のことを調べていたときに、この本の復刊に努力されていた宗教学者の島薗進氏のTwitterで知ったのでした。Twitterでこのように紹介されていました。

安冨歩氏『原発危機と東大話法』。なお原発は必要と強弁したり、放射線リスクで騒ぐ人は愚かという言説の背後に、責任をけして引き受けず他者を貶め自らを引き上げる「話法」がある。全体が動いていくためのある「立場」に自分はいると位置づけているので、他者に対する責任を負う構えがない、と。

安冨歩氏『原発危機と東大話法』。独自の経済学的世界観・自然観をもち、そこから原発問題を長く考えてきた著者が、日本社会史の分析を踏まえ「御用学者」が活躍する必然性を解明している。続編もあるそうなのであわせて読みたい。分析される病理は暗いが、学的信念によるビジョンに元気づけられる。

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』の本の紹介でしたが、この本は発売されたとたんに入手困難なほど売れているらしいです。私も正月早々に予約したのだが、まだ手元に届いていません。そのうちに内容を紹介したいと思います。安冨氏のブログには内容が少し紹介されています。

安冨氏の本では、2006年に『複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)』が岩波書店から出されています。宮澤賢治の詩、「春と修羅」の冒頭部分

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

を引きながら、

生命は、錯綜する「因果交流電燈」のただなかに取り込まれながら、今日まで進化しつづけてきた。われわれもまた、同じ複雑な諸関係の中で、さまざまのリスクに取り囲まれながら、日常生活を営んでいる。なぜこのようなことが可能なのか。

複雑系科学から得られる智慧を駆使しつつ、その不思議を理解する論理を構築する

としています。安冨氏はバブル景気の真っ最中に銀行員であり、そこでも矛盾の解決法を探究する中で、要素還元主義の経済学ではダメだと思うようになります。そして数理科学の中の非線形科学、複雑系科学にその解決の可能性を見出すのです。そして研究の結果スピノザに行き当たり、更にはスピノザは親鸞の思想的影響を受けているのではないかという大胆な仮説を提起するまでになります。

こうして、経済学者である安冨氏が上に紹介した『今を生きる親鸞』という対談本を出すようになったわけです。

スピノザ、親鸞、宮澤賢治らが「複雑系」科学というキーワードでつながってくる。これが実は私にとって一番驚きであり、わくわくするような発見であったのです。

「無目的・無計画・無責任」でなければ、目的をもって計画通りにすすめることはできない

目的を計画通りに責任を持って実現しようとすると、「目的を計画通りに責任を持って実現した」ことにするために、巨大な「やっているフリ」をすることになる

これなんかは、福島原発事故における東電や保安院の姿を書いたのではと思えるほどです。世界は複雑系であり、膨大な要素が相互に関連しているのであるから、前もって計画し、実行しという方法、つまりPDCA(Plan,Do,Check,Action)のサイクルなんかを回したって無駄だというのです。

七百五十回御遠忌にあたり、今年は少し親鸞について考えてみようかと年末に書きました。このブログで「癌と複雑系」について考えてきたことでもあり、安冨氏の考えを学びながら、親鸞と複雑系的思考について勉強してみようと思います。

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく) 複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)
安冨 歩

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2011年9月27日 (火)

「逆システム学」から癌を考えてみると・・・

児玉龍彦氏が、7月27日の衆議院厚生労働委員会において参考人として意見陳述した内容はすでに紹介したし、ネットでもマスコミでも話題になっている。国会で発言したチェルノブイリ膀胱炎や甲状腺がんのエビデンスに関する内容が、「逆システム学の窓」と題したエッセイで閲覧できる。

Vol.28「チェルノブイリ原発事故から甲状腺癌の発症を学ぶ」
Vol.41“チェルノブイリ膀胱炎”―長期のセシウム137低線量被曝の危険性

特集のタイトルとされた「逆システム学」は聞き慣れないが、岩波新書に『逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす (岩波新書)』との書名で、金子勝氏と児玉龍彦氏の共著がある。そこには、「近代科学における要素還元論と全体論という不幸な分裂を乗り越えてゆくために、逆システム学という方法を提唱することにたどりついた」とし、

まず筆者たちは、従来の要素還元論と全体論の分裂に対し、個と全体を結ぶ中間領域にある制度、調節制御のしくみに注目した。そしてそのしくみは<制度の束>と<多重フィードバック>によってできていると規定した。

実際、多重フィードバックが壊れてしまうと市場経済も生命体も維持することはできないからだ。

ところが、要素還元論は、この市場経済や生命体の本質である、制度の束と多重フィードバックを解析する方法を持っていない。

その点では、もう一方の全体論の系譜にある構造論や複雑系論も同じだ。筆者たちは、無前提的に本質を定義し、システムを構成する全体論も批判する。それでは要素還元論と同様に、市場経済や生命体の本質にせまることはできないからだ。

と、「逆システム学」を提唱した理由を挙げる。いわゆる三体問題、太陽・地球・月が相互作用する場合、ニュートンの運動方程式を厳密に解析的には解けないのであるが、それでも宇宙飛行士は月に着陸することができる。それは微細な誤差は無視してもかまわないと、経験的に知っているからであり、誤差が大きくなれば修正しながら飛べば良いからである。

シグナルとノイズの問題、すなわち、経験的に無視していい誤差なのか、重要なシステムの差異なのか、が重要な課題となる。この答えは、実験や治療、経済活動や経済政策における人間のシステムへの介入、働きかけへの結果が鍵となる。システム全体は不可知の領域を含みつつも、働きかけへの反応の予測ができれば、正しい政策、治療法の基礎となっていく。
システム全体をモデル化するような「複雑系」のような議論ではなく、システム全体はわからない段階でも、部分的に理解できている制度や制御のしくみをもとに、ある政策や治療の含みうる問題点を予測しようとする試みが逆システム学なのである。

児玉氏の国会での意見は、このような逆システム学の考えから行なわれたものだ。チェルノブイリ膀胱炎といわれる、膀胱への低線量長期被曝により、前癌状態が観察されたという福島博士らの研究では、チェルノブイリ住民の尿中セシウム濃度は6Bq/リットルであった。いま福島の女性の母乳からは2~13Bq/kgというほぼ同じ濃度の放射性セシウムが検出されている。疫学的にはまだ証明されていなくても、この事実がシグナルであり、システム全体を予想して将来起こり得ることを推測できるのである。9月14日の東京新聞「こちら特報部」には、その福島博士が登場して、今から対策を立てれば「福島膀胱炎が起きないようにすることは十分できるはずだ」と述べていた。山下俊一氏らのように「甲状腺がん以外の癌が増加したというデータはない」というエビデンス至上主義=要素還元論ではなく、典型的なデータからシステム全体を類推すること、言い換えれば、「早すぎる警告」をとらえて「予防原則」に立った対策が必要だということである。

新興衰退国ニッポン』の「おわりに」には次のように書かれている。

リスク社会においては、近代実証科学はかえって有害な役割を果たす場合があることに注意を喚起した。そして、むしろ統計上の5%のはずれにこそ意味があると述べた。このはずれの5%に当たる「異常事態」が頻発する時こそが重要なのである。
自然現象であれ社会現象であれ、今や大きく非線形的に変化する、複雑な変化に直面している。一見すると、大きな変化は、複雑で多数の要因が重なり合っているように見える。だからといって、それが分析できないわけではない。異常な事態を病理の予兆と考えれば、異常な事態によって本質的なメカニズムが引き出されてくるのが垣間見えてくるからである。

癌の生存率曲線において、必ず右端に長く延びた曲線となる。いわゆる”恐竜の尾:ロングテール”である。この統計上のはずれである5%になることが、我々がん患者の願いである。5%の中には自然治癒などといわれる症例もあるはずだ。逆システム学でいう典型的なシグナルは、自然治癒、驚異的回復、自然緩解であろう。このような症例は、体内のまだ不可知の”生体内システム”の結果として偶然現われたものではないか。あるいは、『がんに効く生活』に紹介されたデータにもそうしたシグナルがあるはずではないのかと考えられる。

分子標的薬であっても、癌細胞の関係するたくさんの情報経路、全システムのほんの一部に対しての薬である。人間の遺伝子の98%は調整系の遺伝子であり、そのごく一部に作用してみても、システムの全体がどのような反応をするかの予想が難しい。副作用の少ないはずの分子標的薬に思わぬ副作用が現われる道理である。

「がんは複雑系」だから、たくさんの要因が複雑に重なり合っている。その全システムを知るまで癌患者は待ってはいられない。臨床的に得られた、まだエビデンスとは言えないようなデータを使って、宇宙飛行士が月に着陸するように、癌患者も軌道修正しながら癌に対峙するしかないのだろう。

疫学的調査を待っていたら手遅れになるという児玉氏の指摘は重要であるが、しかし、水俣病などの過去の公害事件では、それ以上に政府の立場に立った医学者の役割が大きかったことを忘れてはならない。ある程度のエビデンスが揃った後でも「科学的に実証されていない。メカニズムが明らかではない」として水俣病が有機水銀によるものだと認めるのに数十年かかった。この問題を津田敏秀氏が『医学者は公害事件で何をしてきたのか』で論じている。ここには、水俣病裁判において、情報バイアスを「マスコミによる情報操作」と勘違いしている国の代理人、医学者が疫学の専門家として出てくる。放射線について、にわか勉強した「放射線の専門家」が登場する現在の状況と酷似しているのに驚いてしまう。

逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす (岩波新書) 新興衰退国ニッポン (現代プレミアブック) 内部被曝の真実 (幻冬舎新書) 医学者は公害事件で何をしてきたのか

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2011年8月 5日 (金)

がんも放射能も複雑系

100万アクセスを超えました。ありがとうございました。このところ、急激にアクセスが増えていました。


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放射能汚染の広がりが止まらない。肉牛の汚染は全国に広がり、秋に収穫される米の汚染も心配されている。放射能は同心円状に広がるわけではない。人間が決めた県境も半径20キロの避難地域も無視して広がる。大気の拡散はカオス的であり、マンデルブロ集合に代表されるフラクタルである。フラクタルでは部分を拡大した図形が、もとの全体とほぼ同じ形状をしている。

放射能の拡散も複雑系であるから、汚染の程度が同心円状で均一になっているのではない。福島県内で汚染がまだら模様を形成し、その一部である福島市内でも場所によって違い、まだら模様を作る。市内の学校の校庭でも高いところと低いところが生じる。チェルノブイリの例では、ベンチの中央だけがセシウム137で危険なほど汚染されていたという例がある。ホットスポットとはそうした現象である。一定の汚染度の範囲により大きな汚染部が含まれているのである。

牛の体内に取り込まれた放射性物質も、牛の部分によって汚染度が違ってくるのは当然である。

 宮城県は28日、1頭の牛の肉で、部位によって国の暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超えたり、下回る検査結果が出たことを明らかにした。
 この牛は仙台市内で6月21日に解体され、肩肉(二十数キロ)が流通した横浜市が検査した結果、規制値未満の380ベクレルだった。ところが、もも肉(37・7キロ)の流通先の北海道が肉を調べたところ、530ベクレルを示した。
 宮城県から6月1日、東京都内に出荷された、別の牛の肉では同じ部位で検査値の食い違いがあった。都内の食肉卸業者が、この牛の肩肉(12.9キロ)を自主検査し、1150ベクレルを検出。しかし川崎市が、この肩肉の残りを調べたところ、618ベクレルだった。

食卓にあがった放射能 この結果を聞いた厚生労働省の幹部は、「セシウムは筋肉に均等に蓄積されると言われている」と、他人事のように答えている。しかし、故高木仁三郎さんの『食卓にあがった放射能』では、新聞記者のSさんが、チェルノブイリの放射能で汚染されたトナカイの肉が、背中の部分とおしりの部分で違い、一方は輸入されたが片方は輸入を拒否されたことに疑問を持ったことから始まっている。

児玉龍彦・東京大学アイソトープ総合センター長の衆議院での証言が話題になっているが、「チェルノブイリ原発事故から甲状腺癌の発症を学ぶ」という論文にはこう書かれている。

“エビデンス”という言葉が臨床研究で用いられる。だがチェルノブイリ原発事故が甲状腺癌を増加させるというコンセンサスをつくるのに 20 年かかった歴史は忘れてはいけない。<そこからの教訓は>

第一は、安易な“エビデンス”論への疑問である。アメリカ型の多数例を集めるメガスタディを行ってもエビデンスとはならず、その地域における疾患の全体を長年をかけて網羅的に把握することのみがコンセンサスを得るエビデンス発見法であったことである。

第二は、ある原因での疾患の発症は特定の時間経過でのみあらわれ、すぐ消えていくため、注意深い観察が必要である。我々の想像を上回る長い時間の経過が関わり、対策の求められているその瞬間には「エビデンスはないということがしばしば起こる事である。

逆システム学の見方でいえば、 「統計より症例報告」という法則が重要である。多数例の軽微な変化より、極端なしかし端的な特徴をもつ少数例を現場でつかむことが、同時代の患者のために役立つ情報をもたらす可能性が強い。エビデンスがないということは、証明不能を語るだけで、因果関係の否定ではない。エビデンスを確立するには多数例の長い時間が必要であるため、短期においてはある地域に従来みられない特殊な患者が現れた時に即時に対応することが重要である、例えばベラルーシに 1991 年、肺転移を伴う小児の甲状腺乳頭癌が次から次とみられた。これらの患者から次第に RET プロトオンコジーンの変異が見つかったということが、実はチェルノブイリ事故と甲状腺癌をつなぐ“同時性”をもったエビデンスであり、甲状腺発癌のダイナミズムを教えてくれるサインだったのである。
 
性質が特徴的である小児の甲状腺癌といっても、ウシとヒトの 2 段階の生物学的濃縮と、2 段階の遺伝子変化を経て発症までには長い時間がかかっている。こうした場合に、数万人集めて検診を行っても、なかなか因果関係を証明できない。エビデンスが得られるのは 20 年経って全経過を観測できてからである。これでは患者の役には立たない。

それでは、病気が実際に起こっている段階で、医療従事者はどのように健康被害を発見したらいいのか。 ここで、 普通で起こりない 「肺転移を伴った甲状腺癌が小児に次から次とみられた」という極端な、いわば終末形の変化を実感することが極めて重要になってくる。軽微な変化を多数みるのでなく、極端な現象に注意する、ということが警報としてもっとも大事であろう。

もっとも早く変化の意味を知るには、極端な状態をみるとよい、という複雑系の問題の解き方と極めて類似している。 エントロピーという概念は、10℃から 90℃の水の変化をいくらみても分からないが、氷が水になるときの融解熱や、水が蒸発するときの気化熱から簡単に類推することができる。いわば気化熱にあたるのが、子供の肺転移を伴った甲状腺乳頭癌の増加であり、その分子機構として RET 遺伝子変異の増加が放射線障害を示唆することに気づくことが重要である。

氷が水に、水が蒸気になるときとは、臨界状態にあるときです。極端な状態を観察することが重要とは、臨界状態を見なさいと言うこと。がんなら、エビデンスのごくわずかの違いを云々するのではなく、奇跡的治癒とか驚異的回復と言われている現象を良く研究するべきだとなる。

さらに、児玉さんの「チェルノブイリ膀胱炎-長期のセシウム137低線量被曝の危険性」では次のように述べている。

すでに福島、二本松、相馬、いわき各市の女性からは母乳に 2~13 ベクレル/kg  のセシウム137 が検出されることが厚労省研究班の調査で報告されている。この濃度は、福島博士らのチェルノブイリの住民の尿中のセシウム  137 にほぼ匹敵する。福島博士の報告では、表 1 のように、6ベクレル/L とほぼ同じレベルである。

そうすると、これまでの「ただちに健康に危険はない」というレベルではなく、すでに膀胱癌などのリスクの増加する可能性のある段階になっている、ということである。そもそも、母乳にセシウム  137 が検出されることが異常だと思わなくなっている行政当局、研究者の判断に猛省を促したい。

チェルノブイリの発がんに関するWHOの公式見解も、証明できないと言っているのであり、因果関係を否定しているわけではないのである。しかし、中川恵一らは「甲状腺がん以外の癌は生じていない」と、言い続けている。特異的な事象・症例から将来を予測し、市民の健康に役立てることが真の”科学的態度”であるが、彼らにはそのような考えは思い浮かばないようだ。それどころか「怖がりすぎても健康被害」と、「野菜不足によるがん死亡のリスクは100ミリシーベルトに相当する。塩分の取りすぎは約200ミリシーベルト、運動不足や肥満は400ミリシーベルト程度の被ばくと同じリスクだ。喫煙や毎日3合以上の飲酒はがんで死亡するリスクが約2倍になり、2千ミリシーベルトの被ばくに等しい」など、比較が適当でないものを比較して、心配する方が悪いとまで言う始末である。ICRP勧告しか知らず、内部被ばくを過小評価している中川氏ならではの説明である。

チェルノブイリ原発の事故でも「体の具合が悪くなるのは、放射能を怖れすぎてのストレスからくるものだ」という専門家が多くいた。さしずめ日本では、山下俊一と中川恵一がその先導役を果たしているようだ。しかし、こうした論理には次のような問題点がある。

  1. ストレスを起こすような原発事故を起こした責任はどこにあるのかという問いを、彼らは決して発することがない。
  2. 現に8万人の住民が、避難民という名の「難民」生活をしているのであり、ストレスが生じるのはあたりまえである。
  3. ストレスにより活性酸素が生成され、それが身体的障害に繋がることがある、と医学・生物学は証明している。
  4. 放射能には発達中の脳に精神的・神経的障害を引き起こす作用がある。
  5. 原爆ぶらぶら病と言われたように、現に身体的障害が生じて、それが精神的ストレスになることがある。がん患者にはうつ病が多いのである。

複雑系においては、原因と結果が複雑に絡み合い、一対一に対応しない。線形ではないのである。心配のしすぎ、ストレスが病気を進行させることはあるから、言っていることには一面の真理はある。心ががんに及ぼす影響も非常に大きい。だからといって、がんになるのは心の有り様が悪いからという、一元論は成り立たないのと同じである。

チッソの廃液以外に考えられないという住民の直感に対して、原因物質が特定できないからとの理由で、水俣病の原因が有機水銀だと確定するまでに長い年月が必要であった。科学的には「原因不明」で「証明が不十分」であっても、泥や患者の体内からは有機水銀は検出されていたにもかかわらずである。福島原発事故由来の放射能による病気に対して、イタイイタイ病、四日市喘息などの公害病の轍を踏まないようにと願っている。

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2011年5月22日 (日)

新刊・近藤誠『抗がん剤は効かない』

抗がん剤は効かない 近藤誠氏が新しい本を出した。2011年1月号の文藝春秋に載せられた「抗がん剤は効かない」、翌2月号での立花隆氏との対談「抗がん剤は効かないのか」を収録するとともに、文藝春秋誌上では触れられていなかった図や、より詳細な説明が加えられている。患者の事後調査を手抜きすることで、打ち切り例がカプラン・マイヤー曲線に対してどのように影響するか、全生存率にどのような作為が可能かという点も詳しく説明されている。

また、週刊文春に「『抗がん剤は効かない』は本当か!?」と題して、勝俣範之・国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長と上野直人・テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授の、近藤氏の記事に対する反論への再反論も収録されている。

彼の前著『あなたの癌は、がんもどき』に新たに付け加えられたものは少ないが、読んでみて、上野直人氏らへの反論も十分に納得できる内容と思われる。近藤氏のがんもどき理論には複雑系思考がない、とする私の考えは以前の記事に書いたのでここでは触れないが、”統計的な論理の範囲内”で考えるのなら、彼の主張はほとんど正しいと思う。

実際にがん患者である我々は、彼の説明を納得したとして、どのように意志決定すれば良いのだろうか。近藤氏の結論ははっきりしている。ひと言で言えば「がんは末期発見が望ましい」ということである。しかし、すべてのがん患者が抗がん剤を拒否することは、相当難しいに違いない。抗がん剤が効かないにしても、では休眠療法、梅澤充医師の低用量抗がん剤治療はどうだろうかと考えたくなる。そう思いながら読み進めていたら、梅澤充医師の名前を挙げて批判している。少し長くなるがその部分を引用してみる。

 腫瘤縮小を強調するのではなく、もう少しもっともらしい言い方もあります。
 梅澤充大塚北口診療所腫瘍外来医師は、抗がん剤を投与した百人(Aグループ)と投与しない百人(Bグループ)を比べた場合、「3年後、Aグループ100人のうち、生きているのは80人、Bグループは70人です。(中略)つまり抗がん剤の効果は、その程度の差でしかない」と語ります(「週刊現代」2011年1月29日号)。

 彼が例として挙げた抗がん剤はエスワンで、「80人」「70人」というのも、(薬効確認のための)臨床試験結果から抽出した数値でしょう。ところがその試験は、私が「効かない論文」において理由を挙げて信用できないとしたものです(24頁参照)。とすれば「週刊現代」の批判記事において梅澤氏が真っ先になすべきは、私が挙げた理由に反論し、エスワンの延命効果を示すことでした。それに成功してから、エスワン臨床試験結果を引いて、「80人」「70人」と語ることが許されるはずで、それが論争作法というものです。
 梅澤氏が、
 「しっかり経過を見て、副作用が出ない程度に最低量だけ使う。そうやって薬の種類と量をこまめに調整すれば、8割以上のがんはコントロールできます」(「週刊現代」)と語るのも意味不明。
 なぜかというと第一に、抗がん剤の種類と量の合理的な調整方法は、どういう専門家にとっても未知だからです。あるいは氏の個人的経験によるのでしょうか。しかし、漢方のような、個々の医者の単なる経験主義から脱却しようというのが、現代医学の出発点であったはずです。
 第二には、「がんがコントロールできる」というけれども、「コントロール」の意味が分からない。「腫瘤の縮小」より、もっと曖昧模糊としています。そして標準量でも一~二割で腫瘤が縮小したら上々という抗がん剤の実力に鑑みると、それより少ない「最低量」で八割がコントロールできるという氏の発言は、途方もない大言壮語としか聞こえない。ーーでも患者や家族は、こういう甘言に弱いのでしょうね。ころりと騙される。
 結局梅澤氏は、「抗がん剤の効果は、その程度の差でしかない」と、謙遜というか、アンチ抗がん剤のようなふりをしながら、抗がん剤治療を推進している。彼のもっともらしい言い方は、患者・家族が「その程度の差」はあるように受け取ってしまう点で、社会に垂れ流す害悪が大きいのです。
 そして梅澤氏の方法でも毒性がある。たとえ「最低量」の使用でも、抗がん剤に毒性があることは変らない。毒の特性として、使えば使うほど、体内に毒性が蓄積し、増大します。ただ、患者が体感する副作用は弱いでしょう。しかし副作用が弱いという、まさにそのことが患者・家族を安心させ、抗がん剤の長期使用に走らせ、水面下で毒性が著しく増大する結果を招きがちなのです。「最低量」使用には、通常量の使用に比べ、毒性が最大化する危険があると知るべきです。
 「がん休眠療法」等と銘打った、抗がん剤少量・長期投与法にも、梅澤氏の方法と同じ問題点があります。患者・家族は注意してください。
(85~87ページ)

相当にきつい批判だ。梅澤医師がどのように再反論するだろうか。近藤氏は統計的なエビデンスに基づいた議論をしているのだが、梅澤医師は現在の標準的抗がん剤治療は患者の個性を無視した画一的なエビデンス至上主義だと批判し、患者個人毎のテーラー・メイド抗がん剤治療を行なっているのだと言っているのであるから、議論がかみ合うはずがない。個人毎に抗がん剤の投与量を変えるだから統計的な処理になじまない。梅澤医師でなくても、患者の体調が悪ければ抗がん剤の投与量を減らしている医師はいるが、量や回数を変更すればエビデンスが無くなるではないか。「個々の医者の単なる経験主義から脱却しようというのが、現代医学の出発点であった」のは確かだが、いまではその弱点が明らかになり、がん治療においてテーラー・メイド治療が叫ばれていることは近藤氏も知っているはずではないか。

統計的に生存期間にわずかの違いしかない場合でも、ではこの私という個人にとってはどうなのか、これは近藤氏も言うように「分からない」。例えば下の図のような生存率曲線の抗がん剤があったとして(近藤氏の本から借りてきた)、支持療法だけなら10ヶ月の生存期間だった患者が、抗がん剤を投与すると横に平衡移動して12ヶ月の生存期間になるわけではない(Aの矢印)。全員が平行移動すると考えると、予想に反して長生きしたり短命の患者がいることの説明がつかない。もちろん、一人の患者が両方の治療法をやることは不可能だから本当のところは分からない。しかし、近藤氏の言うように、抗がん剤で命を縮めている患者がいるのなら、抗がん剤で命を伸ばしている患者がいなければつじつまが合わないはずである。だから、本当に自分の寿命が延びたのかどうかを実感することはできないけれども、Cの矢印のように”本来なら”11ヶ月の余命のはずが20ヶ月生存している患者がいる一方で、Bの矢印のように”本来なら”10ヶ月の余命のはずが、抗がん剤の毒性で6ヶ月に寿命を縮めた患者がいるはずである。損得勘定を合計すれば、無治療と差がないことになるのだろう。

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問題は、抗がん剤をやってみるまでは分からない、効果があっても実感できない、ということである。寿命を延ばした例と縮めた例が合計され、無治療とたいした違いがなくなるのだと、近藤氏も書いている。そして、我々がん患者には自分がCになるのか、Bになるのかを知るすべがない。

近藤氏の説明はほぼ正しいと思う。しかし、(すべての抗がん剤や手術を拒否するなら役立つが)患者の意志決定には使えない。すい臓がんの私が、近藤氏の言うように手術を拒否していたら、いま生きているとは思えない。がん遺伝子によって患者の寿命が決まっているという論理は、決定論的思考である。各要素は決定論的に振る舞うが、それらが多数集まって、相互に関連している複雑系においては、将来の予測は不可能なのであり、がんも生命も複雑系である。

EBMの道具箱 第2版 (EBMライブラリー)梅澤医師は、町工場の職人のように、永年の勘と経験で対処しようとしているのである。これは近藤氏の言うように「エビデンスを無視した医療」ではない。近藤氏こそ「P値」の呪縛に捕らわれているのではなかろうか。(P値:統計的有意差を表わす指標)標準偏差の3倍までは許容範囲として、その中で患者にとって何が必要であるかを考えるのが医療であろう。医療は科学ではなく、技術あるいは芸術に近い。蒲田の町工場の職人は、指先で1/1000ミリを判断するという。そこにはトレーサビリティのあるマイクロメータがあっても役にはたたない。最先端の技術を支えているのは職人の経験と勘である。梅澤医師も手探りでCの矢印を探しているのに違いない。医療においては、相手が人間という複雑系だからそうならざるを得ないのである。

穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点 結局は、これまでのエビデンスを承知した上で、副作用と、もしかしたら少しは長生きできるのではないかという幸運を天秤にかけて、その人の人生観・価値観にしたがって決めるほかないのである。診療に関わる決断をするときに、「目の前の患者にどの程度役立つものか?、患者の価値観や目的に合うものか? 費用対効果はどうか?」がEBMにおいても重要だと『EBMの道具箱』にも書かれている。

中田力氏がこんなことを言っている。

医療における不確定性は、複雑系のもたらす予想不可能な行動に由来し、実際にやってみないと結論が出せないことで満ちている。そして、やってみた結果が予想と反することなど日常茶飯事である。

それでも、現実的には、病に悩む人々に複雑系の理論を説いて納得を促すことは無理である。現場の臨床医は神に尋ねることも許されず、医学にすべてを委ねるわけにもいかず、不確定さを理解した上で、患者の選択すべき道を決定論的に示さなければならない。もっとも適切な選択は経験則だけが教えてくれる。しかし、それが必ず良い結果を生むとは限らない。だからこそ医療は、医師と患者との間に、ある種の盲目的な信頼関係がなければ成り立たないのである。

医師は神であってはならない。しかし、同時に、単なる人間であってもその責務は果たせないのである。(中田力『穆如清風-複雑系と医療の原点』より)

がん細胞の遺伝子がすべてを決めているから何をしてもむだだというような、決定論的・線形思考を、私は採用しない。しかし、再発・転移しても抗がん剤を使用するつもりはない。戸塚洋二氏のように、皮膚も身体もぼろぼろになるまで抗がん剤をやる勇気が、私にはないだけである。低用量抗がん剤治療はオプションとして残しておくが、無治療を選択するつもりではいる。だから結果的に近藤氏の推奨する方法を選択することにはなるだろうが、それは私の価値観から導かれる結論であって、「がんもどき理論」を信用しているからではない。今の私の関心事は、複雑系としての自分の身体に対して、がんを再発・転移をさせないために力を注ぐことである。

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2011年4月24日 (日)

緑茶はがんに効くか?(2)

これまで分かっているデータから、がん患者は緑茶についてどのように対応すれば良いのでしょうか。緑茶に限らず、補完代替医療のすべてに対しても、私たちは時には正反対の意見や実験結果に遭遇します。今回の福島第一原発の放射線の影響についても同じように、専門家の間でも相反するようないろいろな意見があり、しかも少ない情報を元にして、私たちは判断をしなければなりません。

緑茶の効果と放射線の確率的影響(晩発障害)に共通しているのは、相手が「がん」だということです。一方はがんが治るかどうかであり、他方はがんになるかどうかという違いがありますが、対象は同じです。だから、緑茶の効果も放射線の影響も統計的にしか説明できません。そして緑茶に明らかな腫瘍縮小効果があるのなら、とっくに現代医療に取り入れられているはずですから、仮に効果があったとしてもわずかな効果だろうと思われます。また、放射線についても大線量では明確に影響があることが分かっていますが、問題になっているのは低線量の被ばくを継続して受けたときの影響です。がん細胞の成長にはさまざまな要因が関与しているのですから、あったとしても小さい効果を与える要因は、他の要因の中に埋もれてしまうことになるでしょう。つまり、信号があっても雑音の中に埋もれてしまうようなものです。

ここで、ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護の基本原則(4月1日のブログに書いています)と、私の代替療法に対する基本方針を並べてみます。

  1. 行為の正当化
    放射線被ばくを伴ういかなる行為も、その導入が正味でプラスの便益を生むのでなければ採用してはならない
  2. 防護の最適化(ALARAの原則)
    社会的・経済的要因を考慮にいれながら合理的に達成できる限り低く(As Low As Reasonably Achievable;ALARA)」被ばく線量を制限すること。
  3. 個人の線量限度を超えてはならない
    職業人:100mSv/5年、ただし50mSv/年を超えないこと
                                 (年間死亡リスク=1/10,000)
    公衆:   1mSv/年      (年間死亡リスク=1/1,000)

私の代替療法を採用するときの基本的な考え方は、

  1. 重篤な副作用がないこと
  2. 理由もなく高価ではないこと
  3. ある程度のエビデンスがあること

です。重篤な副作用があれば、「行為の正当化」はできません。あたりまえですが、効果と副作用の損得を考えましょうということです。20mSv以上になる地域は逃げろ!と言われても、仕事はどうするのか?子供の学校は?介護老人を抱えている。家畜やペットがいる。つまり社会的・経済的要因を考える必要が生じます。これが防護の最適化です。代替療法も、効くかもしれないからといっても、長く続けるのですから、家計が破綻するような金額をつぎ込めません。高価なものは継続できません。経済的要因抜きに採用はできません。(代替療法の最適化)ついでに言えば、理由もなく高価なものは、ほぼ例外なくインチキだと思ってまちがいありません。また、異論はあるかもしれないが、一応の世界的に認められた線量限度があります。主として広島と長崎の被爆者の方々の疫学調査に基づいて線量限度が決められています。疫学調査による限度ですからエビデンスです。これが「ある程度のエビデンスがあること」に対応します。

原発事故による放射線被ばくでは、住民にはプラスになることはないのですから「正当化」はできません。CTの被ばくに比べて少ないとか言っている医療関係者はこの点をまったく理解していません。防護の最適化については、避難地域に指定されたが、生活を考えたら躊躇する、これはあたりまえのことです。この点も政府の姿勢は矛盾だらけです。緑茶の場合は、副作用もなく高価でもないのですから、1も2もクリアできます。

さて、一回目の記事で上げたように、緑茶に関するエビデンスはあの程度のものしかありません。がんの予防と肥満などにはある程度のエビデンスがありそうです。できてしまったがんについては『がんに効く生活』で紹介されているような内容がありますが、これも決定的なものとは言えません。(代替療法だから当然ですが)

カナダの分子医学研究所所長を務めるリシャール・ベリヴォー博士は、永年抗がん剤の作用するメカニズムを研究してきた人です。研究所が小児科病棟に移転したのを機に、小児がんの子供たちの姿を見て何とかしたいと思うようになります。そしてネイチャーに発表されたスウェーデンのカロリンスカ研究所の2人の研究者の論文に興味を持つようになります。その論文には、緑茶が既存の薬と同じ作用で血管新生を抑制する働きがあることを実証したと書かれています。しかも、一日に2、3杯の緑茶で十分だといいます。その直後、ベリヴォー博士は、膵臓がんに苦しんでいる友人レニーの妻から「ほんの少しで良いから、夫と二人過ごす時間が欲しい」という電話を受け取ります。博士は抗がん効果のある食物のリストを考案します。もちろんその中には緑茶も入っています。キャベツ・ブロッコリー・ニンニク・大豆・ターメリック・ラズベリー・ブルーベリー・ブラックチョコレートなどでした。レニーはそれから4年半生きたのでした。

緑茶に多く含まれるカテキン(ポリフェノールを多く含んでいる)、その中でもEGCG(没食子酸エピガロカテキン)には、各細胞の表面にある、がん細胞が組織内へ侵入していくのを許可するスイッチ=受容体をふさいでしまう働きがあります。新たな血管を形成する受容体もふさぐことができる。こうしてがん細胞が炎症性因子を使って送ってくる命令に答えることができなくなります。ベリヴォーらはこうしたEGCGの働きをさまざまながん細胞で試験をし、明らかにしてきました。

緑茶の抗がん作用は、このような機序で起きると思われますが、現状ではそれが十分なエビデンスとして認められるには至っていません。しかし、これまでに何度か書いたように、がんも生命も「複雑系」です。EGCGの機序が分かったとしても、その他のたくさんの因子が相互に作用しているのががん細胞です。EGCGが血管新生を抑えるから、がん細胞が縮小すると、単純な要素還元的な説明通りにならないのがあたりまえです。

しかし、「がんと自己組織化臨界現象」で書いたように、緑茶によってほんの少し条件が変化すれば、複雑系においてはそれが大きな変化に繋がることがある。初期値の少しの違いで、その後のふるまいはまったく違ったものになることもある。砂山モデルの比喩で言えば、緑茶が砂山の形状を変えることもあり得るのです。

つまり、複雑系思考でいうなら、”緑茶でがんが治るか?”という問題の立て方がそもそもまちがっています。緑茶は複雑系にどのような影響を与えるのか? それに加えてターメリックとブラックチョコレートを同時に摂ったらどうなるのか?多くの因子がどのように関連し合っているのか?これが知りたいことです。しかし、残念ながらまだ私たちの知識はその答えをえるまでには至っていません。しかたがないから、せいぜい統計的処理をして、ごくわずかな違いを検出しようとしているのです。ごくわずかの違いが検出されたら、それを試してみれば良いのです。試すためには重篤な副作用があったら困ります。高価でも継続できません。

がんが治るというエビデンスのある代替療法は一つもありません。せいぜい試験管レベル・マウス実験、あるいは小規模でのお互いに矛盾する臨床試験結果があるだけです。しかし、がん患者はエビデンスが揃うまで待ってはいられません。時間がないのです。完全なエビデンスは、いつまで経っても確立できないと思います。

複雑系思考に立てば、いまあるエビデンスでも代替療法として十分に活用することができると考えます。「効く可能性があるのだから、(複雑系が良い方向に動けば)私のがんにも効果があるはず」と考えてお茶を楽しむ、そんな付き合い方が良いのではないでしょうか。私は、三つの代替療法の基本的考え方に合格したものからいくつか選んで、平行して続けています。それらの相互作用による効果を期待しているからです。

   緑茶は、砂山の形状を変えるにちがいない

追記:今の福島原発からのセシウム137などの放射能が降り続けば、お茶に含まれる放射能による発がん作用が、EGCGのがん抑制効果を上回ることもありそうです。緑茶をたくさん飲んでがんを退治するつもりが、逆にがんを育てるということにもなりかねない。抗がん作用のある食物は限られていますが、放射能はありとあらゆる食物に平等に降り積もります。原発事故が起きれば、がん患者が代替療法に期待した効果なんかは、簡単に帳消しにしてしまうのだと、今頃になって分かりました。

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2011年2月18日 (金)

久しぶりにサイモントン療法について

わたしを超えて―いのちの往復書簡 瞑想は毎日欠かさずにやっていますが、就寝前に布団の中で始めると、5分ほどで寝入ってしまいます。これでは効果がないのかなと思っていたのですが、『わたしを超えて―いのちの往復書簡』で玄侑宗久氏が「瞑想は集中して5分もやれば十分」と書いてあったので、安心しました。

この本は岸本葉子さんとの往復書簡ですが、この中でサイモントン療法について「イメージがあまりにも西洋的すぎる。敵を取り囲んで白血球がやっつけるというのは、本当にアメリカ的です」と書かれています。サイモントン療法のイメージは白血球ががん細胞をやっつけるというだけではなく、もっといろいろな、患者が工夫できる余地のあるものなのです。

サイモントン療法――治癒に導くがんのイメージ療法(DO BOOKS) たとえば、川畑伸子著『サイモントン療法』では、「がんと癒しのメディテーション」「安らぎのリラクゼーション」「内なる叡智のメディテーション」「死と再生のメディテーション」などのイメージが紹介されています。私は「聖なる庭のメディテーション」が気に入っています。

しかし、禅の考えが浸透している東洋人には東洋人なりのサイモントン療法のやり方があるのではないかとの考え方には賛成できます。「がんサポート情報センター」のサイトに鎌田實医師との対談もあり、同じことに言及しています。

玄侑 鎌田先生も心がどれだけ体に影響を及ぼすかという例で、サイモントン療法について書かれていましたね。サイモントン療法は私も何人かの方に勧めて、それなりの効果があると思っています。ただ、イメージがあまりに西洋的すぎると思います。敵を取り囲んで白血球がやっつけるというイメージは、本当にアメリカ的ですね。

鎌田 がんばる姿勢ですよね。

玄侑 ええ。もっと和合のイメージで、ああいう療法ができないかと思いますね。がんは確かに、悪い現象を起こすやつではありますが、退治する以外に手はないのかと思います。

鎌田 たとえば、どういうふうに?

玄侑 私はやっぱり八百万という言葉が好きです。カオスの中でみんなが咲き賑わっているあり方といいましょうか。あるいは、『華厳経』というお経では、雑華厳飾といって、命の多様性を讃美します。いろいろな華が世界を飾っていて、全体が和合してると考えるんです。そういうのをイメージ化できたらと思いますね。

鎌田 排除するのではなく、取り込んでしまうという感じ?

玄侑 ええ、みんなが花となって咲くという感じです。
そんなことやってられるかいと、苦しい人は思われるでしょうが、うちのお寺の檀家さんにも「自分は瞑想で治した」と言い切る方がいます。直腸がんの末期でしたが、病院で残り時間を聞いたあと取引先へ行って、「お医者さんはこういいましたが、私は死にません」と挨拶して回ったというんですよ。で、それから何をやったかというと、瞑想とキチンキトサンだけだと。今でも元気に社長をやっていますが、瞑想は続けているようです。
瞑想とは頭から言葉をなくす技術ですが、言葉をなくすだけだとむずかしいんです。かわりに、別なものをあふれさせればいいんです。ビジュアルでもいいし、音でもいい。それで言葉も居場所がなくなります。

岸本さんも攻撃的なイメージではなく、「せせらぎ」を思い浮かべるといいます。色とりどりの小石が見えるくらいの浅いところを、明るく透明な水が平らかに流れているイメージです。私の写真でならこんな感じになるでしょうか。

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実践!「元気禅」のすすめ」 瞑想法についてのやりとりは、『実践!「元気禅」のすすめ」』で述べている「憶」「思」「想」「懐」へと進んで、流れを適温のお湯に見立てて身体を浸してみることを玄侑氏は勧めます。ついには岸本さんは温泉で瞑想を実行することに。その温泉地は伊豆の河津で、河津桜の咲く小川の岸辺を思い浮かべるでのですが、これは偶然にも先週私が旅行した場所であり、河津桜の咲く季節でした。

『わたしを超えて・・』で、ふたりの話題は縦横に跳びます。ボーアの量子論のおける「相補性」、オイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』『弓と禅』では、矢を放とうとしてはならない、的に当てようとしてはならないという師の教えに納得できないヘリゲルが、どのように格闘してその極意に達したかが話され、般若心経を「理性で分かろうとしないで」暗誦する岸本さんの格闘が紹介されます。

がん患者は「正しい死生観」を持つことが大切だと、多くの方が言います。それは、いずれ抗がん剤も効かなくなって死を迎えるのだから、その準備をしなさいということではないのです。がん患者には、命とは何か、この世界はどうして存在しているのか、私が死んだ後この世界はどうなるのか、人生とは何か、こうした問いについて考える時間が与えられています。脳卒中や交通事故では、このようなことを考えている余裕はありません。しかし、考えるためには道案内役が必要です。サイモントン療法も瞑想もその道案内のひとつと考えればよい。もちろん、がんを治したいがためにサイモントン療法を行なうのですが、「治りたい」という「欲」だけが先に立っていては治ることは難しいかもしれません。「治り方を知りたがる患者さんには、治るという現象が起きにくい」とも言います。それは「死」という恐怖心に囚われているからでしょう。だから何としても治りたい、がんと闘って勝ちたいとなるのです。頑張るのも、ある意味では恐怖心から生じているのでしょう。

「楽観的な人は、長生きする」からといって、では「長生きしたいから、楽観的に生きる」となれば、その時点ではき違えています。岸本さんはこれを「主語と述語は入れ替えられない」と明晰に述べています。私は以前にこう書きました。がんに勝とうとしなければ負けることはない。しかし、そこで「分かった、勝とうとしなければ良いのだな。そうすればがんに勝てるのだな」と思ったら、そこで既に取り逃がしていますと。同じことですね。矢を的に当てようとしては当たらないのです。

だから、がんを治したいから瞑想をする、では取り違えています。最初のきっかけはそれでも良いのです。しかし、いつまでも「治りたい」という欲だけなら、それでは目的地には行けないだろう思います。玄侑宗久氏は言います。

起こった事態を因果律だけで解釈することは不可能なのだと思います。そこには共時的な要因も多く関わっているはずです。いわば「ご縁」によってふらふらと揺らぎつつ事態が進展するのであれば、それを因果律的に解釈しようとすることは、迷路に迷い込むことに等しいでしょう。

「瞑想すればがんが治る」は、因果関係を考えているのです。この世の中、原因と結果が一対一になっている現象など、ほとんどないのです。「ご縁」を多くの要素が複雑に絡み合っていることと考えれば、これはまさに複雑系の思考です。

われわれ凡人には悟りは無理です。しかし、それに少しでも近づきたい。そんなときに岸本さんがどのようにして霊性に目覚め、「わたしを超えた いのち」への道をたどったのか、道案内役にしてみようかという気になります。

現代医学には限界があります。代替療法にはきちんとしたエビデンスがありません。心が身体に影響することは、このブログでもたびたび紹介していますし、楽天的な患者は予後が良いと多くの医者が感じていると言います。自分の心の有り様は、患者自身が変えるしかありません。私の印象では、心の有り様こそが、サバイバーになるための必須条件だと思っています。しかし、それも絶対確実ではない。岸本さんはこう述べます。

おおらかに構えて亡くなった人も、マジメでいて亡くなった人も、おおらかに構えて生き延びた人も、マジメでいて生き延びた人もいます。私の印象では、法則性は見られません。

法則性は見られなくても、ごくわずかの初期条件を変えることによってその後の全体の運動に大きな影響を与えることができる。単純な還元論的な法則性がないといって、特別な現象が起きないとは言えません。誰にでも治癒は可能だと信じて、前に進むしかないでしょう。

禅的生活 (ちくま新書) 禅的生活 (ちくま新書)
玄侑 宗久

まわりみち極楽論―人生の不安にこたえる (朝日文庫) 中陰の花 (文春文庫) 現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615)) しあわせる力 角川SSC新書 禅的幸福論 龍の棲む家 (文春文庫)

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2010年11月27日 (土)

ペプチドワクチンで腫瘍が増大することがある

退院して6日目です。何とか、本来の体調に戻ってきたようです。

Mebio (メビオ) 2010年 12月号 [雑誌] グラフィック・メディカル・マガジン「Mebio」12月号が「がん免疫療法の進歩と問題点」を特集しています。中村祐輔教授の「ゲノム抗原による新しい腫瘍抗原の同定」、近畿医大教授奥野清隆氏の「海外で臨床試験の進んでいるペプチドワクチン療法」、大阪大学の杉山治夫教授の「WT-1ペプチドを用いたがん免疫療法」、北海道大学遺伝子病制御研究所教授の西村孝司教授らの「巷間で行なわれるリンパ球移入療法の概説と問題点」など興味深い記事が揃っています。

なかでも三重大学大学院医学系研究科教授の珠玖洋教授らによる「ペプチドワクチンによる免疫機構の活性化」は気になる論文です。

  • 実験的研究では、ワクチンなどの免疫操作がかえって腫瘍増殖 を20101127093045417_0001促すことがあることがある
  • SEREX同定抗原を用いた免疫は、腫瘍肺転移の治療効果の増強と憎悪の二面性効果を引き起こす
  • この二面性効果は、CD4陽性CD25陽性制御性T細胞活性及びCD4陽性ヘルパーT細胞活性の誘導によりもたらされ、IFN-γによりコントロールされている
  • しかし、適当なアジュバントを採用することにより抗原特異的キラーT細胞のアポトーシスも抑制され、 in Viboにおいて強い腫瘍増殖抑制効果が誘導された

等と書かれています。

近年、主としてキラーT細胞が認識する抗原ペプチドをワクチン源とするペプチドワクチンが、多くの臨床試験で評価され、開発が進められている。その基盤となっているのは、種々のマウス実験腫蕩において、キラーT細胞認識ペプチドを用いたペプチドワクチンが腫蕩増殖の抑制を導くといういくつかの報告である。しかしながら一方で、(今も臨床試験で頻用される)ベプチドとフロイント不完全アジュパント(IFA:臨床試験で広く用いられているモンタナイド)の混合投与というぺプチドワクチンの投与方法は、投与経路やスケジュール、投与量によっては、抗原特異的CD8+細胞の活性化ではなく「免疫寛容」を誘導してしまうことが、マウスモデルで報告されている。「Mebio-12.pdf」をダウンロード

人体は複雑系であり、多田富雄氏が言うように免疫も複雑系のスーパーシステ ムです。がん細胞を免疫系でやっつけることはなかなか一筋縄ではいかないのでしょう。アジュバントの工夫で何とか対応できそうですが、一層の研究が望まれます。それにしても国のがん予算が少なすぎます。そうした話も先月11月6日の「すい臓がんに光をあてる」セミナーで講演されましたが、その動画がアップされています。膵臓がんの最新情報としてぜひ見ておきたい内容です。

2010 パープルリボンキャラバンin東京 「すい臓がんに光をあてる」

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